「だれかを愛する」ということ
病室にて
 あなたは心から、だれかを愛したことがあるだろうか?

 『はい』と『いいえ』で答えてほしい。

 人と人の出会いは不思議なものだから、今私の質問に『いいえ』と答えたあなたでも、1年後には『はい』と答えているかもしれない。そんなものだ。

 反対に、真っ先に『はい』と答えたあなた。あなたの心には私の知らない特定の「誰か」が浮かんでいるはずだ。それはクラスメートだったり、会社の同僚だったり、人によっては家庭を持つ10歳以上も年の離れた人だったりするのかもしれない。
 
 私もこの質問に自分で答えてみる。
 答えは『はい』だ。

今、私の心にはある人物が浮かんでいる。
私の学生時代の恋人だった人だ。
ゆりかごにいるような安堵、真夜中のプールの中にいるような息苦しさ、彼にはたくさんの気持ちをもらい、そして与え、私たちは別れてしまった。大学を卒業する年、今から3年前の話だ。
別れ際に彼は私にこう言ったのを覚えている。

 『君を救いきれなかった』

今、私は父親の病室にいる。父親はすでに息絶えている。
そして、数年ぶりに再会した『彼』の背中を見つめている。
『彼』はしばらく病室の窓から、外の景色を見つめている。
ライトアップされた桜の花。私と『彼』が3年前に見たのと同じ景色だ。

 『3年前と同じだ。何ひとつ変わらない』

背中を向けたまま、『彼』は言う。
私は息がつまりそうだった。父の異変に気がついて、数分後にはナースが駆けつけるだろう。それでも彼はゆっくりと言葉を続ける。『約束を果たしに来たよ』

 『自分が何をしたのか分かっているの?』

 『ああ、よく分かっている。してはいけないことをした』

私は声にならない叫び声をあげようとした。その一瞬前に彼はこう言ったのだった。
私はこの時の彼の言葉を、おそらく一生忘れないと思う。

 『君を救いに来たんだ。だから悪くない』








 









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