暁を追いかける月

5 振り切れぬ過去

キリの爆弾宣言の次の日の朝食は微妙な雰囲気だった。
 表向きは何も変わらない。
 いつも通りの朝だ。
 朝早く起きた女とキリは、手早く朝食の支度を済ませ、男達を起こして回る。
 朝の身支度を済ませ、こざっぱりとした男衆達が何気ない風を装い、朝食を取りながらちらちらと男と女を盗み見る。
 女はいつも通り、不機嫌そうに男の傍らで朝食を取っていた。
 男もいつも通りの無表情で感情が読めない。
 キリのいつも通りのおしゃべりに相槌をうちながら、食事を口にしている。
 男衆達は何でもない振りをしながら食事を続けたが、何だかいたたまれずに、その日の朝食の味も覚えていられなかった。


 その日は、男は男衆の半分を連れて仕事に出かけた。
 残りの大半は馬の世話と屋敷の外の草むしりや中の掃除の手伝いを昼食前までに終わらせた。
 黙々と作業できるわけもなく、男衆達の話題は専ら自分達の統領と女のことだ。

「統領と姐さんは一体どうなったんだ?」
「どうなるもなにも、なんもねえだろ、ありゃ」
「なんかありゃあ、もうちょっとこう甘ったるい空気でも流れんだろ?」
「甘いどころか、薄ら寒い空気が流れてたように感じるぜ」
「気になるじゃねえか、どうしたらいいんだ」

 そんなもんもんとした男衆の視界に、洗濯干しを終えたキリが篭を振り回しながら歩いてくるのが入った。

「キリ!!」
「ちょっと来い!!」
 声を潜めて叫ばれて、キリは不審そうにするも、男衆達に近づく。
「何だよ、一体」
「まあ、ここに座れ」
「おめえに聞きたいことがあってよう」
 キリは篭をひっくり返して伏せると、その上に座る。
「なあ、キリよ、おめえから見て、統領と姐さんは昨日の夜、どうだったと思う?」
 問われて、男衆が聞きたいことがわかったキリは、隠す風もなく肩を竦めて答える。
「どうなったもなにも、リュシアが拒んで、統領がひいたってことだろ」
「だぁーーーー!!」
「やっぱりそうか……」
 一斉に男衆が落胆する。
 わかってはいたが、何とも言えぬ甘い期待があっただけに、お約束通りの展開に胸が痛む。
「統領は昔っから我慢強いからなあ」
「男として、賞賛に値すんな。同じ部屋に寝泊まりしてんのに手もださんとは……」
 この男衆達の言い草に、キリは呆れてしまう。

「我慢する理由がどこにあんだよ。統領がリュシアにぞっこんなのは周知の事実だろ。惚れた女のために掟破りまでしといて、手も出さないなんざ、統領はマゾか!?」

 マルグが女の事情をキリにかいつまんで話す。
 キリの呆れ顔がだんだんとしかめっ面になっていく。
「なんだよ、そりゃ。じゃあ、リュシアは統領のこと、好きじゃないのに一緒にいんのか?」
「いや、そうじゃあないとは思うんだが――」
「嫌なら一緒にはいないと思うんだが――」
「砂漠越えだって、いつも一緒だったしなぁ」
「嫌っちゃあいねえと思うんだが、姐さんはとことんつれないからなあ」
 すでに半年以上一緒にいるのに、男衆達の言葉はいまいち自信がなさげだった。
 キリはまたしても呆れてこれ見よがしに息をついた。
 統領に似て、男衆達も色事に対して押しが甘い。

 大の大人がそろいもそろって使い物にならないとは。

 キリが頭をかいていると、背後から女の声がかかる。
「キリ、そろそろ食事の支度をするわ。手伝ってちょうだい」
 振り返って見上げる女は美しかった。
 けれど、その顔に笑みが浮かぶのを見たことがない。
 マルグの話を聞いて、その理由がわかったが、どうしてもわからないことがある。
 ずんずんと女の前に進み出ると、キリはまたもやずばっと女に問うた。

「リュシア、統領のものになれないのは、何でだ」

 いきなり問われて、女は面食らう。
 困ったように美しい顔の眉根が寄り、背後の男衆達を見据える。
 一体何を吹き込んだのだと、その表情は静かに怒っていた。
 睨みつけられて、咄嗟に男衆達は首を横に振る。
 いきなりのキリの単刀直入すぎる問いに、男衆達とてびっくりだ。
 しかし、自分達が聞きたくても聞けずにいたことをキリが聞いてくれたのだから、なんとしてもその答えは聞きたかった。
 例え、冷たく睨みつけられても。
「――」

 キリは女の言葉を待っていた。
 素直なキリを、羨ましくも思う。
 怖いもの知らずな、天真爛漫なキリを見ることは、女の静かな喜びとなっていた。
 だから、嘘はつけなかった。

「あたしが、人殺しだからよ」

 静かな答えに、
「姐さん!?」
「そりゃ違うだろ!!」
 男衆達が慌てて否定する。
「この手を血で染めた訳じゃない。だからこそ、許されないのよ。何一つ手を汚さずに、たくさんの命を奪ったから」

 そうして、生まれた国まで滅ぼした。

 あの国を、愛していた。
 生まれてから一度だって、あの国を出たこともなく、出る気もなく、一生あそこで過ごすのだと思っていた。
 父と母と、弟と暮らしたあの家で、自分も家族を持ち、平凡に生きて、死んでいくのだと思っていたのだ。

 何を間違えてしまったんだろう。
 どこで見誤ったんだろう。
 こんなはずじゃ、なかったのに。

「あんたの統領は、いくらでも相応しい女を選べる。あたしは相応しくないし、そんな女にもなれない」

 もっと、違う出会い方ができれば良かったと、女は思う。
 例えば、一月に一度の休暇で、里帰りを許されていたら、もしかしたら、弟を通じて、あの男と出会えたのかもしれない。
 復讐や義務、同情や憐れみが混在せず、純粋に、男を愛せたかもしれない。
 男も、愛してくれたかもしれない。
 勤め先に暇を貰い、弟と二人で、男と一緒にどこまでもいけたかもしれない。

 弟を見殺すことなく、普通に出会って、恋に落ちて――そんな当たり前の運命であったなら。

「――」
 泣き出したかった。
 けれど、そんなことは許されない。
 泣いて許しを乞うには遅すぎる。
 すでに、男の人生を、男衆の人生を狂わせた。
 自分のせいで村を追われたのだ。
 こんな放浪暮らしをさせている。
 じぶんにできることといえば、彼らが快適に暮らせるようにすることだけだ。

「この話は、もうしたくない。これで終わりよ」

 泣き出す前に、女は食事の支度に戻った。




 昼食を取り、午後は自由に過ごしていいことになった。
 女は相変わらず黙々と家事をこなし、男衆とキリは暇なので、もう一度馬の世話に戻った。
 洗濯物の乾き具合を確かめに外に出た女は、厩《うまや》の柵に凭れて和やかにしゃべっている男衆達と、大きな馬の近くにいるキリを見つけた。
 キリは買ったばかりの大きな馬に鞍をつけていた。
 そのままひらりと馬に跳び乗る。
 その手際の良さに、女は正直感動する。
 あんなに小さなキリが、どうやって軽々と大きな馬に乗り上がれるのか、どうしてもわからなかった。
 その馬はどうも気性が荒いらしく、キリが乗ってもなかなかじっとしていない。
 それでも、キリは手綱をうまく操って、馬を宥めている。
「――」
 離れたところで黙って見ている女を見つけて、キリがにこやかに手を振る。
 危なげないその様子も、女からしてみれば不安で仕方がない。
 はらはらしながらも手を振り返そうと挙げたとき。

 キリが、前足を跳ね上げた馬から落ちた。

「!!」

 落ちたまま、起きあがらない。

「リュマ!」

 そう、叫んでいた。



 男衆達は、落馬したキリに野次を飛ばした。
「おいおい、キリ、らしくねえなあ」
「腕が落ちたんじゃねえか?」
「今の落ち方じゃあ、ちいっと格好わりいな」
「どうせ姐さんにいいとこみせようとしたんだろ」
 図星だった。
 打ち付けた背中と尻の痛みに、咄嗟にキリは起きあがれなかった。
「――油断した。久々にケツがいてえ」
 骨を折るような下手な落ち方はさすがにしなかったが、近年まれに見る無様な落ち方に、キリ自身もがっかりだ。

 よりにもよって、リュシアの前で。

「リュマ!」

 悲鳴のような女の叫び。
 男衆がそちらを向いたときには、すでに女は倒れているキリに駆け寄っていた。

「怪我は!?」

「あ、姐さん?」
「え? なんで」
 驚く男衆を睨みつけ、女は叫んだ。
「子どもにこんな危険なことさせないで!」
 激しい剣幕に、男衆達は驚いた。
 彼らにとっては見慣れた光景だった。
 自分達の馬をキリに確かめてもらうことは。
 落馬もだ。
 寧ろキリほど上手に落馬できる者を、男達は見たことがなかった。
 だから、落馬したリュマに駆け寄ることもしなかった。
 女が何を怒っているのか、一瞬理解できなかった。
「リュシア、やめろよ」
 キリの声で、女が視線を戻す。
 キリは片手をついて上半身を起こした。
「キリ――」

「俺、リュマじゃないから」

 キリはいつにない、傷ついた顔をしていた。
「俺のこと、リュマって呼んだ。死んだ弟の名前だろ、それ」
 女の表情が揺らいだ。
 意識したことではなかった。
 咄嗟に口をついて出たのだ。
「俺は、弟の代わりか?」
 違う、とはすぐに言えなかった。
 確かにそんな時もあったからだ。
 だが、キリとリュマはまったく違う。
 違うからこそ、愛したのだ。
「――」
 女の躊躇いを見抜いて、キリは立ち上がった。
 肘が擦り剥けて血がにじんでいた。
「キリ、血が」
 伸ばした手が、振り払われる。
「自分でできる。馬の世話してりゃ、こんなことしょっちゅうだ。落ち方だって、心得てる。死ぬような怪我なんてしない」
 馬の手綱を取り、背を撫でる。
 そして、女にだけ聞こえるように、キリは呟いた。

「リュシア、俺、弟にはなれる。でも、リュマには、なれない」

 馬の手綱を引き、厩に向かうキリを、女は黙って見つめるしかなかった。


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