フィニステール〜最果ての地へ〜

南フランス

南フランスにはTGV(新幹線)でなく寝台列車で向かった。アレクは昔から寝台列車が好きだった。

音楽院受験前にパリにレッスンに通うときも、寝台列車に揺られたものだ。夢見がちな少女のアレクは果てなく続く夜の平原に妖精や伝説の情景を見ていた。暗闇の中では魔女にもお姫様にもなれた。そんな少女時代の自分の記憶に浸りながら、アレクはいつの間にか夜を駆ける列車に身をゆだねた。


目覚めれば夜明け。列車を降り、迎えにきた母のマヌエラの頬にビズをする。実家に向かい山々をオープンカーで駆け抜ける。輪ゴムを外したアレクの髪の毛を散らす南フランスの風はまだまだ夏の匂いだ。

「ジョアンは新幹線でアビニヨンまで行って父親の車で来るらしいわよ」

マヌエラは朝日を遮るサングラスをかけながら言った。30才の誕生日を迎えるパーティーの主役ジョアンは、パリに住んでいる。しかもアレクと同じ16区に。だが用事もなく、用事がなければ会うこともめったに電話することもない。半年ぶりぐらいだろうか。

そしてジョアンが車をかりるという父親アランには、少なくともパリの音楽院に進学してからは一度も会っていなかった。スペイン女と逃げた父親の間には、5才か6才になる子供もいるようだったが、その弟に会いたいとも思わなかったし、特に興味もなかった。

「あ、あの人別れたらしいわよ、子供もとられて随分惨めみたい。電話でジョアンが言ってたわ」

ヴァランスに咲くひまわりのように笑いながら、マヌエラが続ける。

「ジョアンも同棲してた彼女と別れたみたいだし、まだまだ孫はみれないわねえ。あんたはどうせ誰もいないんでしょ」


不躾に土足で人の気持ちに踏み込んでくる母親が、アレクはとても苦手だった。離れているときは苦手を忘れて、たまには親孝行せねばと連絡不精な自分のを恥じるのだが、実際に会うとその理由を思い出すのだ。私は母親が苦手。父親も嫌い。兄にも興味がない。

実際、母親も兄の方が可愛いらしく、付き合いにくい妖精のような感情の起伏もよくわからない娘は放置気味ですらあった。


うんざりした気分で景色を眺めるアレクの気持ちも知らず、マヌエラは話を続ける。

「でもあんたはこのまま結婚しないかもね、でも稼げてるんでしょう。一回コンサートするといくらもらえるの?あんたにはお金かかったからね、返してもらわなくちゃ」

上機嫌な母親とは対照的にアレクは気持ちが落ち込んでゆく。その後無言のまま、実家についた。正確に言えば、ここはアレクの育った家ではなかった。市内のプラセット通りの黄色い四階建ての家。一階はイタリアンレストランで父親が腕をふるっていた。アランはそこで兄とアレクは育ったのだ。北イタリア生まれのアランは優しくて母親とそりがあわないアレクを自由にしてくれた。防波堤のような存在だった。ヒステリックなマヌエラから逃げたのは妥当だと思うけど、それでもショックだった。そういう相手には中途半端に愛を求めるより、赤の他人として人生から切り離した方が良い。アレクは事実もう親の庇護を必要とはしてなかった。
今の実家は母親が離婚してから彼氏と住んでいる場所というだけの、アレクには縁もゆかりもない場所だ。庭も見晴らしの良い場所にたっている。
母親の彼氏ブルーノがビズで出迎えてくれる。髭がチクチクするが、アレクにとっても、母親よりよっぽど好感が持てる相手だった。あの母親と仲良くしてくれるなんて天使のような人だ。微笑むアイスブルーの眼にグレイの髪が優しげで、マヌエラも彼にはヒステリックじゃなかった。

「昨日から準備に追われてるよ、昼には人が来るからね」

ブルーノの言うとおり、キッチンには準備の整ったココット鍋やら、野菜やらが所狭しと鎮座まします様子。ダイニングテーブルには庭でとれただろうオリーブのケーキがのっていた。

「庭のテーブルにクロスひいてきて頂戴」

母親の言葉にアレクは庭に出て準備を手伝うのだった。
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