ホーリー 第一部
断章
  ホーリー、ホーリー、手をつなごう
  なんべんまわって手をつなごう?
  えんとつわれたらとび散って
  なんねんまわってわをつくろう?
  ホーリー、ホーリー手をつなごう
  はぐれたまんまで手をつなごう

 公園の片隅から、子供たちが妙に邪気の少ない透明質な声を、うすら白んだ雲の下に響かせていた。くっついたり離れたり、ぐるぐる廻ったりしながら、何度も何度も、哀しいくらい幼い声を執拗に世界の宙空に投げかけていた。
 広大な公園には一面、ぼんやりと深い霧が立ち込め、無数の巨大な遊具が番号をつけられた集合住宅群のように整然と建ち並んでいた。 
 「暗雲垂れ込める古来の大地、翼竜の降り立ちて亜子らに授けしは、小さな小さな石斧なるか。」
 どこかでそんな一片を聞いたことがあるような気がした。それはべつに意味もなく、ただ機械的に頭の中を反響していた。
 この世界を牛耳る巨人たちはほえ面をこいて眠っていた。ずっと遠くの方からバカみたいないびき声だけが重苦しく響いていた。ブオオオッ、ブオオオッ、という下品な音がミミズみたいに地中を這いずりまわっていた。ときどき眠りながらムシャムシャと、血を滴らせてドス甘いお菓子を貪り食うのがわかった。その度にどこかから子供の悲鳴が聞こえた。
 ぼくは白い霧の中にとろけていた。さやさやと流れる風に揺られながら、広大な園内を回遊した。

・・
 公園には無数のオーラがチカチカ煌いていて、この世とは思えないくらいきれいだった。それは地面に倒れ込んだ白い星空みたいだった。でもオーラが星と同じように霧の海を航行することはなかった。巨大すぎる遊具に縛り付けられ、遊ぶことも風に身を揺らすこともできずに、ただぼんやりと霧にまみれていた。ときおりブヨブヨとした半透明の巨大な手がうすら白んだ世界の上辺から降ってきては、無造作に、何の節度もなく、一度に数十個ものオーラをわしづかみにしてさらっていった。ぼろぼろと手から零れ落ちたオーラはただ無意味に光を失って消えた。一連の動作はすべてがどうでもよさそうな、惰性的なものに見えた。「あ~、やっぱりこっちはあんまりおいしくないなあ」という巨人の寝言が聞こえた。反吐が出るような甘ったるい声だった。
 巨大な遊具が建ち並ぶ空間と、何組かの子供たちがまばらに輪をつくって遊んでいる広場とは、白い門扉によって仕切られていた。まるで呪文のように細密な文様をかたどったフレーム状の門扉は、小さくか弱い聖性を想わせた。巨大な遊具は決まって同じ種類のものが固まって並び、無機質にそれぞれの区域を形成していた。遊具はどれも清潔で、硬質的で、なによりなまぬるかった。ぼくは、まどろみの中でモニターを眺めながら繰り返す機械的な手の上下運動を、あのつめたくなまぬるい感触を想い出していた。
 延々と続く遊具のプランテーションを流れていく最中、いくつか悪夢のような光景を見た。はじめに見たのは孤高で誇り高いあのユニコーンのあまりにも無様な姿だった。彼は巨大なジャングルジムにぐるぐるに縛りつけられていた。自死を選べぬように根こそぎ歯を抜かれ、四肢はもがれ縫合されていた。あらゆる毒を吸い取るといわれる鋭く長い角は銀色のカバーに覆われ、何本ものワイヤーが上空のいびつな機構から伸びていた。馬体からはボトボトと黒い汗がにじみ出て、かつて白く輝いていたであろう体毛は残らず禿げていた。物乞いのようにやせ細った胴体はそこらじゅうが膿みきって、腐ったような黒々しい紫色に変色していた。歯抜けの汚いダルマになり、苦悶と屈辱に歪みながらも、彼の目は生きていた。誇りを棄ててはいなかった。それがその光景の凄惨さを哀しいくらいに引き立たせていた。
 
 次に見たものは深い優しさと高貴さを兼ね備えているという、不死鳥フェニックスの姿だった。無数に並ぶ噴水の中に、ひときわ目立つ噴水があった。その噴水からは赤黒く穢い汁がボトボトと垂れていた。周囲にはモーターのついた水路が執拗なまでに張り巡らされ、ギュルルルッ、ギュルルルッと、電動音をうならせながら、赤黒い汁を強引に吸い上げていた。とってつけられたような粗雑な棒切れに乱雑に打ちつけられた不死鳥は首から上を亡くしていた。羽毛は根こそぎ剥がれ、むやみに巨きな力でねじ切ったような痕が無数にあった。体躯からはすえた鼻を突くような異臭がした。生気など微塵もなかった。まるで老い朽ちた襤褸雑巾みたいだった。かつては端整で気品に満ちた顔をつけていたであろう首の根元から、不老不死をもたらすといわれるその血が獲れなくなると、モーターは動きを止め、上空から鉤爪のようなアームが二本顕われた。ホルマリン漬けの、朝露の繊細なきらめきよりもずっときれいな、芯の熱い光を湛えた不死鳥の眼球を持って。二本のアームは片方の手で瓶から眼球を取り出し、もう片方の手で眼球を少しだけ突いた。否応なしに不死鳥の眼球からは涙が溢れ、不死鳥の体躯に降り注いだ。程無く不死鳥はやわらかい光に包まれ、切り取られた首の根元から再び血が流れ始めた。自らの涙が持つ特性に拠って瀕死の状態から立ち直った不死鳥は、羽も首も無い傷痕だらけの裸体をなみなみと脈打たせ、それまでとは全く違う美しく発光する血液を勢い良く噴き上げていた。
 噴水の群れを横切ると、今度は巨大なシーソーが馬鹿みたいに並んでいる区域に入った。その中のひとつに、スフィンクスが佇んでいた。スフィンクスは幻覚を見せられているらしく、ずっと誰も居ない虚空に向かって謎を投げかけていた。何度も何度も同じ言葉を繰り返していた。壊れてしまいそうなくらい、哀しく、ヒステリックな声だった。きっと自分の信念が判らなくなるような何かがあって、ずっと迷いと煩悶の中に居るのだろうと思った。心の隙を突かれ、かかるはずのない幻術に嵌められ、無意味にシーソーの座席に鎮座するスフィンクスの姿は滑稽なぐらい哀れだった。まるで、おまえなどべつに利用する価値もないのだと、嘲笑され、ただ玩ばれているようにも想えた。そして宙空からいやらしく垂れ下がった無機質なスコープが、美しい顔を悲痛に歪め、ふくよかな乳房を激しく揺らしながら、ときに自分を責め立てるように、ときに何かに懇願するように絶叫する彼女を、淡々と、ただ執拗に眺めていた。
 反吐が出るような光景が続いた。まったく、至れり尽くせりだと想った。どういうわけか、時折その光景が自らの暮らしぶりとダブつく心地になることもあった。だから余計に吐き気がした。でも、其処でぼくが見たものはまだまだそんなものじゃなかった。

・・・
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