まさか、ここで
 人数合わせで呼ばれた飲み会で笑みを浮かべながら、沙苗はワイングラスに口をつけた。本当は、合コン、と呼ばれる出会いのスリーオンスリーなのだが、飲み会、と言っとけば飢えた〝女子〟を演じなくていいので、そう呼ばれる。
 社会人というのは出会いがあるようでない。オフィスラブ、だのというのは幻想世界の賜物であり、現実は至ってドライだ。
「沙苗さんってどこ出身なんですか?」
 隆が訊いた。沙苗は彼の顔を凝視した。整髪料を巧み使った爽やかな短髪。シャープな眉に目。ふっくらとした唇は大半の女性に安心感を与える。黒のジャケットからのぞく白いVネックのインナーがいやらしい。
 はて?どこかで見た気がする、沙苗は思った。しかし、それがどこだかわからない。
「ずっと、東京ですよ」
 沙苗はサラミを一口つまみ言った。
「それを聞いて安心した」
 隆は定規で引かれたような綺麗な歯並びを見せた。その表情に沙苗は心の動揺を隠せなかった。なにか胸の中が蠢く気配を感じたからだ。
 いけない。
 咄嗟に自分を戒めた。なぜなら、沙苗には銀行員の彼氏がいるからだ。地方に二年間転勤になると聞かされたときは、沙苗の心を真っ暗にした。それでも好きだから待つと決めている。
 が、寂しい。頼りたいときに頼れず、寂しさを埋めたいときに、埋められない。それら負の感情を埋めるために、この飲み会に来ているのだ。
 いけない子。
 沙苗は席を立ち、トイレに向かった。隆含めた他の五人は談笑を繰り広げていた。その声が個室から漏れていた。
 トイレで化粧を直し、唇にリップを塗り、トイレを出た。
 びっくりするとはこのことだ。トイレから出た先に、隆が笑みを浮かべていた。白いを歯をのぞかせて。
 そして突然、「沙苗!」と言いながら抱きついてきた。「俺だよ、高校の時の」
 あっ、と思わず沙苗は声を漏らした。そうだ、告白をしたが振られた、高校時代の淡い思い出が蘇って来た。
「でもずいぶん印象が違う」彼女は言った。胸の鼓動が高鳴る。
「十年以上もたてば印象も変わるさ」隆は彼女の耳元で囁く。
 そこからは、自然の流れで見つめ合い、吐息が交錯し、唇を重ね合わせていた。
「こんなに綺麗になるなら、君と付き合っておけばよかった」
 男のずるさも、今の沙苗は隆の唇に夢中だった。温もりが欲しくて。
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