恋をしようよ、愛し合おうぜ!
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「ここ置いとくぞ」
「え?なに・・・あ!」

あれから野田さんにずっとバッグを持たせたままだったと、今頃気がついた!

「すみませんっ」
「気にすんな」
「・・わっ」
「痛かったか」
「あ・・・いえ。ただビックリしただけ」

だって、大きな右手を私の頭に乗せて、ポンポンと優しく叩くし。
思わず目をつぶって、肩をすくめた私の少し上から、今度は低音ボイスが響くんだもん。
そりゃあ色々ビックリするよ。

でも当の野田氏は、自分がしていることに、特に意図もなく、意識もしてないようだ。
当たり前と言えば当たり前か・・・。

でも花田さんにもそういう・・スキンシップしてるのかな。
同年代や後輩の同性にはしてそうだけど。
この人、私のことをどういう位置づけで見てるんだろう。
・・・そんなの、どうでもいいことだけど!

自分の行き着いた考えを「とんでもない!」と結論づけた私は、それを締め出すためにも、時間が来るまで英訳に集中し続けた。



前野田さんが言ったとおり、訳の量は増えていたけど、それほど厄介なレベルじゃなかったおかげで、18時過ぎには全て終えることができた。

「まずねえと思うが、大幅な変更があれば連絡する」
「分かりました。明日と明後日は」
「今のところは来なくていい」
「そうですか」

どっちにしても、仕事は入れてないから、急に呼び出されても大丈夫だ。
基礎部分を終えたような達成感と安堵感を抱きつつ、「おつかれさまでした」とみなさんに挨拶を済ませると、海外事業部のオフィスを出た。



最初はエレベーターの待ち人が結構いたから、そして次は乗っていた人が多かったので、私は2回、エレベーターに乗らずに待っていた。
ちょうど終業時間と重なったし。
だからエレベーターを待ってる間に、野田さんも来ちゃったんだよね・・・。

「なつきさんだ」
「奥村さん」
「なんだよ」
「・・・なにも」と私が言ったとき、やっとエレベーターが来てくれた。

エレベーターに乗ってる人は多かったけど、前程じゃないし、乗れない多さでもなかった。
何より、この人と二人だけじゃないことが、今はとてもありがたい。
でもなぜか、エレベーターの中でもすぐ隣にいるんだけど。
離れたほうが返って不自然?
どっちにしても、自由に動けるスペースはないし。
あぁ、狭くて窓のない密室の中で、野田風シトラスの香りがいつも以上に漂ってくる!

そんな野田さんは、一緒に来ていた奥村さんと、仲良さそうにしゃべっている。
神経過敏気味になってる私とは対照的に、いつもどおりリラックスしてて、爽やかな雰囲気を周囲にふりまいているからなのか、女子社員はもちろん、男性社員の何人かも、野田さんと奥村さんをチラチラ見ている。

二人は、昨日の夜放映されたドラマのことで盛り上がっている。
奥村さんが、恐らくドラマのセリフと思われる言葉を、主演俳優のモノマネをしながら言うと、野田さんが「似てるぜ!」と言いながら大ウケしていた。
そういえば、野田さんと奥村さんは同期だと言ってたっけ。
だから奥村さんは野田さんのことを、仕事時以外では「ノダシン」と呼んでるんだよね。
と思ってるうちに、ようやく1階に着いたエレベーターの扉が開いた。

「さっきのモノマネ似てたよなー?なっちゃん」
「そうですね。あれはドラマのセリフですか」
「うん。もしかしてなつきさん、知らない?ってことはドラマ観てない!?」
「すみません。うちテレビなくて」
「めっちゃ面白いのに!」
「こいつ、ただのドラマおたくだからよ。こいつが言うことは気にすんな」
「俺、ドラマおたくじゃないの!恋愛ドラマが好きなの!」と主張する奥村さんがとても可愛く思えて、ついクスクス笑ってしまった。

「面白い趣味ですね」
「ロマンチストと言ってくれる?」
「彼女も同じこと言ってたよな」
「奥村さんって彼女いるんだ」
「いるよー」
「俺と違って、こいつは社内恋愛派だぜ」
「え!?ってことは、彼女さんって・・・」
「受付の佐藤」

ま・・・マジで・・・?
てことは・・・私の予想は大外れだったの!?

それを実証するかのように、ビルを出ると、私服を着た佐藤さんがいた。
佐藤さんは私たちに気がつくと、パッと明るい笑顔になる。

その笑顔は、間違いなく奥村さんに向けられていた。

「じゃあ俺はここで」
「おう。またあしたー」
「あ・・・おつかれさま、でした・・・」と私が途切れ途切れに呟いてる間に、奥村さんは佐藤さんの方へスタスタ歩いて行った。

「あいつらつき合って、もうすぐ5年だ。そろそろ結婚も考えてるらしいぜ。だからよ、なっちゃん」

と野田さんは言うと、私の肩を組むように、大きな左手をガシッと置いた。

「なっ、なんですか」
「奥村に手出すんじゃねえぞ」
「はあ?もう何言ってるんですか。実は野田さんの方が恋愛ドラマ好きなんじゃないの?」と心底呆れた声で言った私を、野田さんがじっと見る。

あの・・・肩に手置いたままだから、ひじょーに近いんですが・・・。
チラッと目だけを横に動かすだけで、野田さんの顔が見えちゃうくらいに!

でも野田さんはすぐ私から手を離すと、スタスタ歩き出してくれた。
耳元で囁かれた低音ボイスが、いまだに耳の中を侵食してる気がした私は、囁かれた右耳をさすりながら、野田さんを追いかけた・・・のは、行き先がたまたま同じ方向だったからだ。

「ドラマ観てねえくせに、なんでモノマネ似てるって分かるんだよ」
「えっ・・・あぁ。武蔵くんとは友だちなんです。前ドラマの主演するって言ってたし」
「ふーん」と言った野田さんは、急に立ち止まると、私の方へふり向いた。

気のない声を出したくせに、元々キリッとしている凛々しい顔はすごく真面目だからなのか。
それだけで心臓がドキンと跳ね上がった気がした私は、肩にかけてるダミエの紐を右手でギュッと握りしめた。

「な、なにか・・」
「今日メシ食い行くか」
「あ・・・今夜はもう予定があって・・・すみません」

これは本当だ。
でも野田さんはそれを気にしてるのか、してないのか。
とにかく、どっちでもいいというような感じで、「あ、そ」と言った。

アッサリ引き下がってくれてよかった。
でも物足りない。
そんな相反する気持ちを抱えつつ、「それじゃあ」と言った私を、野田さんが呼び止めた。

「はい?」
「電車で行くのか?今ラッシュだし、おまえのバッグ重てえし。俺車だから送るぜ」
「大丈夫です。この近くで待ち合わせして・・・あ」
「なんだよ」と野田さんが言ったのと同時に、手をふっていた幸太くんが、私たちの方へ歩いてくるのが見えた。

「ナツさーん。おつかれー」
「ごめんね幸太くん。待った?」
「いや全然・・・」
「なつき。こいつ誰」

と言った野田氏の低音ボイスが、なんとなーく不機嫌に響いたような気がしたせいか、思わず私はビクッとしてしまった。

「あぁえっと・・・」
「俺、池上幸太っていいます。ナツさんの隣に住んでます」
「・・・野田真吾。よろしく」
「あ!あの“野田さん”?ナツさんと一緒に仕事してる。ナツさんがよく話す人だから、会ってみたかったんだよなぁ。ね、野田さん。今夜クリスティーナんとこにみんな集合するんだけど、よかったら野田さんも来ませんか」

幸太くんがいきなり野田さんを誘ったことに、私は驚き、そして戸惑った。

「ちょっと幸太くんっ」と囁く私を遮るように、「また今度な」と野田さんが答えた。
社交辞令として終わってくれたことにホッとする。
でもさっきの低音ボイスは、ちょっと面白がってるように響いてた気がする・・・。

「はいぜひ!じゃ、ナツさん。行こ」
「あぁうん」と返事をして数歩歩いたところで私はふり向くと、「野田さん、おつかれさまでした!」と言った。

「おう。あ、おい!幸太!」
「はいっ?」
「なつきのバッグ、重いから持ってやれ」
「はい!ナツさん、バッグ貸して。うわ。これマジ重たい!何入れてんの?」
「いろいろ」と言いながら、また後ろをふり向くと、野田さんはまだその場にいた。

そして私と視線が合うと、ニヤッと笑った。
その顔は、まるで私がふり向くのが分かってたと言ってるように思えて・・・また私の鼓動がドキドキ早くなる。

野田さんは右手をスチャッと敬礼するように上げると、私たちとは違う方向へ歩き出した。


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