【続】三十路で初恋、仕切り直します。


頭が痛い。熱い。息が苦しくて、全身がだるい。重い。




----------風邪を引いて寝込むと、大抵夢見が悪い。




それはたぶん9歳のときに母親を亡くした経験の所為でもある。


よくテレビで『癌は遺伝する』なんてことを目にしていたから、子供の頃は風邪を引いたり、ちょっとした体の不調を感じるたびに不安になった。


自分も癌なんじゃないか。今は違ってもいずれそうなるんじゃないか。


そんな悲劇的な妄想に取り憑かれるくらい、当時まだ小学生だった自分には若かった母の早すぎる死は衝撃的だった。






母は細いくせに大食いで、いつも豪快に歯を見せて笑う明るい人だった。声を荒げ、その顔を苦しげに歪ませてベッドの上で暴れ狂い、看護士たちに押さえつけられている姿は別人のようだった。


『しばらくお見舞いはいいよ』と遠慮する母の言いつけを破って、学校帰りにひとり病室に向かいそのとき見たものは、癌という悪魔のような病が母から尊い命も人としての尊厳をも奪い取ろうとしている、まさに修羅の光景だった。


約束を破った所為で、母が息子には決して見せまいとしていた姿を見ることになってしまったことへの罪悪感。母が苦しみ続けた挙句に息を引き取ったとき、涙をこぼすよりも先に「もうお母さんはこれ以上苦しまずにすむんだ」と思ってしまったことへの後ろめたさ。




風邪で寝込んでいると意識が混濁して、普段は胸の奥底の泥のような場所に深く沈めてある、つらい記憶や苦い感情がふつりふつりと表層に浮かびあがってくる。


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