カリス姫の夏


病院の裏口のドアを開けると、外気は曇っている分湿度が高く、湿っぽかった。駐車場に足を踏み入れると、学校のプールのような匂いが鼻をつく。


外に出て外観をじっくりと見ると、えらそうに私を見下ろしていた大病院は案外年代物だったらしく、所々外壁がはげている。だだっ広い駐車場もアスファルトが歪(ゆが)んで波打ち、くぼみができていた。


キョロキョロとお父さんの愛車をさがしていたら、ひと極みすぼらしいその車体が駐車場の端に居座っているのが見えた。


ふっーとため息をつく。急ぐこともないよね、と肩を落とし、のんびりと歩いた。


すると、明け方まで降っていた雨でできたのか大きな水たまりが私の進路を遮(さえぎ)った。

幅は1メートル半位か。深さは思いのほかある。
太陽を隠す厚い雲の働きで、生きながらえていたらしい。


とぼとぼと水たまりの淵を通ろうと思った私に、さっきの呪文が聞こえた。


『私 変われる?
変わりたいの?』


足を止め、水たまりを見た。

水たまりは飛び越えられるもんならどうぞ飛んでごらんなさいと、私をそそのかす。この挑発に乗らない手はないと、普段は隠れている闘争心が顔を出した。


この水たまりを飛び越えられたら、私、変われる。この夏、何かが起きる。


なんの根拠もない挑戦と結果の方程式は、願望というより予感‥‥いや予言と言い切れるほど確信に近づいている。


よしっと気合いを入れて、水たまりをにらんだ。そこから数メートル後ろに下がると両腕を大きく前後に振り、全速力で水たまりへ向かって走った。

1、
2、
3、

ハイッ!


ベストタイミングで踏み切る。
身体は信じられないほど軽い。
全身が高く舞い上がる。
両足は宙を歩くように前へ前へと進む。


イケる‼
と、思った次の瞬間。

バシャーン。


水たまりの一番深い所に両足は着地した。狙い通りだと言わんばかりの、最悪の着地点に。跳ね上がった泥水は、ズボンやTシャツどころか、頭にまで到達する。その姿がいかに無様なのかは、鏡を見なくても自覚できた。


人生最悪の夏休みは、すでに始まっていたらしい。
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