あなたから、kiss



「ヨシ…、と。」


私は1度、大きく伸びをして。

気合いを入れる為に、下ろしていたロングの髪を…まとめる。


前髪をグッと上げて。

口にくわえたピンできっちりと留めた。







それと…、殆ど同時に。

コトリ、と音をたてて。デスクの上に…


何かが置かれた。


私はそれに目をくれることなく、パソコンの画面を見つめたまま…

左手でそれを、持ち上げた。



「…………。」



今日も…苦い。



口に入れた瞬間に、じわりと…苦味が脳内を刺激する。


ブラックコーヒー。


甘党の私は…、これを自ら選んで飲もうだなんては、思わない。







カタカタと、キーボードを打つ速度を上げて。

一気に…文字を入力していく。


最後に、enterキーを押して。




そこでようやく…


後ろへと振り返った。





「雨宮くん、これ、コピーかけて。…20部ずつ。」




名前を呼ばれたその男は、小さく頷いて。

こちらに歩いて来ると…、デスクの上の原稿を無言で受け取った。



空っぽになった私のカップを…もう一方の手で持ち上げて。




そこに…、会話があるワケではない。


今時の若者と意志疎通などできるワケはない。




なのに――…、だ。



何とも絶妙なタイミングで、この人はいつも…コーヒーを差し出す。


月末月初の忙しい時期には、ブラックを。

中旬のゆとりがあるときには…

私好みの、砂糖スプーン半分、ミルクたっぷりの…コーヒーを。




「雨宮くーん、俺にもコーヒー!」


「………。今、仕事頼まれてるんで。」



「あー、そう。」




あくまでもドライで、坦々としている彼は。

けっして…媚を売らない。




バイトとしてここに来て…2年目。

10歳年下の、雨宮くんは…掴み所のない、不思議な人だった。




「先輩、私…臭いません?」



隣りのデスクのタカちゃんは、クンクンと自分の服を匂っては…

小さく溜め息ついた。



「大丈夫。例え臭かろうが、それが私のモノだろうと思うんじゃない、カレは。」


「それ、ちっともフォローになってませんよぉー。」



こんな風に。


独身女性社員には…絶大な人気を誇っているけれど。



私は…、彼が苦手だった。



人に興味なさそうな顔してる癖に…


社員一人一人の性質ってヤツを、まるで…


見透かしているかのように感じるから。




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