イジワル上司に恋をして

それにしても……。あの、黒川さん。本当にあの日、あのバーにいた人なんだろうか。


焦点を自分から外して、鏡の隅にぼんやりと“あの夜”のことを思い出す。


あの夜は結構お酒、飲んでたし。あの男の人も、ちらっと見て、ちらっと声を聞いただけで、“絶対”っていう自信がない。

加えて――――。


「めっちゃ、ニコニコしてたじゃん……」


そう。ものすごい笑顔なのだ。
まあ仕事柄、“営業スマイル”はお手の物なんだろうけど、それにしても、だ。

人ってあんなに変わるの? 笑うか笑わないかで?


おもむろに視線を上げると、鏡の中の難しい顔をした自分の目が合った。
誰もいないことを確認してから、『ニィ』っと笑ってみる。


「……わたしも、なるべく普段から笑っとこ」


表情筋のプチ体操をしたわたしは、頬を触りながらトイレを出た。


――ま、本人だったとしても、適度な距離感で仕事してれば問題なさそうだよね。


ぐにぐにと頬を弄りながら、宙を見つめてそんな結論に達したときだった。


「――――!?」

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