老いたる源氏

雲隠れ7

すると突然誰かが大きな声で叫びました。
「薫様じゃーっ!」
皆一斉にはるか東のほうを見つめます。

比叡の空には黒雲がかかり今にもこちらを覆いそうに迫ってきます。
そのわずか手前に砂埃が舞い上がっています。みるみる近づいてきます。

駿馬に乗った薫様です。水干に髪をなびかせ全力で疾走してきます。
「父上ーっ!父上ーっ!」
馬を庵の手前でお止めになり、息を切らせて人をかき分け
荼毘(だび)のもとにたどり着きます。

雨脚が急に強くなってきました。人々は徐々に足早に去っていきます。
骨壺は夕霧様が抱えておられます。惟光様が傘を差し。高僧も傘の中で
読経されておられます。他の僧はびしょ濡れですがずっと読経されてます。

夕霧様が竹箸を薫様に手渡されます。薫様は息を整え無言で燃え尽きた白骨を
眺めておいでです。しゃれこうべ以外はほぼまだらに皆が骨を拾われたみたいです。
のど仏が残っていました。夕霧様がこれを拾うようにと示されます。

のど仏を骨壺にお入れになったところで僧が蹴鞠ほどの石を持ってきました。
雨の中残った骨を砕いていきます。しゃれこうべだけが残りました。
夕霧様が骨壺を抱えたまま薫様に目で合図します。

薫様はその石を受け取りしゃれこうべを粉々に砕きました。
「父上は最後に何か言われましたか?兄上」
「ふむ、南無法華経、南無法華経じゃと申された」
「南無法華経、南無法華経、と?」

夕霧様は大きくうなずいておられます。
二人の兄弟は雨の中、しばし黙してたたずんでおられました。

林の影から傘の中、一人の尼宮がずっとこちらを窺(うかが)っておられます。
それは女三宮の尼君。雨脚はさらに強くなり。嵯峨野は空も人も
すべてが鈍色(にびいろ)に覆われてしまいした。
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