桜が咲く頃~初戀~
紀久代
吉岡紀久代は香奈の母方の祖母だ。紀久代がまだ八歳の頃大阪大空襲があり逃げる様に紀久代だけ親戚を頼って田舎に来た。

紀久代は空襲で親兄弟を亡くしていたので毎日泣いて過ごしていた。


見兼ねた親戚のおばさんは紀久代に『泣いてばかりいたらお母さんが淋しがる』と話して聞かすも紀久代は泣いてばかりで周りを困らせた。

毎日、静かに1人きりで1日を過ごす紀久代は何故かその日は海を見ようと昼過ぎに親戚の家を出た。

しかし、いくら歩いても海からの波の音がするだけで海は見えて来ない。少し帰ろうかと考えていた時に木々の隙間に青くて太陽に照らされた綺麗な海を見た。

紀久代は息を一瞬飲んでからその木々の間に立ち入った。

そこには小さな蕾を沢山つけて今咲こうかと揺れている大きな桜の樹があった。それは何となく紀久代の母に似て温かい眼差しで紀久代を見下ろしており思わず紀久代はそこに近づいて触れてみた。


『あなたは1人でいるのですか?』

そう話しかけて桜の樹を小さな身体を一杯に伸ばして見上げた。

『ヒトリデ ナンカ イナイヨ』


そう声がしたと思うと枝を揺らしするすると紀久代位の男の子が降りて来た。


『あんた誰やのん?』

紀久代は一歩後ろに引き下がりながら降りて来た男の子に聞いた。

『コトダマ ダヨ』


そう言ってニッコリと笑うと紀久代の胸を指差した。


『こころ?』


紀久代は男の子に差された胸に右手で手を当てて見た。

『ダイジョウブ モウスグヒトリジャナクナルンダカラ サミシクナイヨ』


そう男の子はまたニッコリ笑うとするすると枝を伝って桜の樹に登って見えなくなった。


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