桜が咲く頃~初戀~
ネコ車を押して前を歩く圭亮の後ろ姿を見つめながら香奈はあの日の事を思い出していた。





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『圭君東京の大学にいくやとねぇ』

おばぁちゃんの声に縁側で本を読んでいた香奈ははっと顔を上げた。高校を卒業しての休みに1人遊びに来ていたのだ。

『ばぁちゃん。俺、東京に行きたいんよ。もうこんな田舎嫌なんよ、何にも無い、したい事も見つけられない、こんな田舎嫌だ』

圭亮はおばぁちゃんの家の土間にある丸い背もたれの無い丸椅子に腰掛けてさっきから何やら話をしていた。香奈はその様子が気になっていたから本を読む所ではなくなった。

『圭君。そんなん言われんよ。こんな田舎でも良い所やけん。東京に行きたければ誰の遠慮もいらんし行けばええ。バァはそれも大切な経験やと思おとる。''井の中の蛙大海を知らずされど空の高さを知る”荘子の言葉ぢゃけんど解るか?井戸の中の狭い世界しか知らんもんがなんぼ偉違って何かを解いてもいかん。またそんな輩程知ったかぶってゲロゲロと煩く鳴くんよ。なんも見とらん経験しとらん者程な。しかしな空の高さを知るっうチャンスはあるんや。井の中から見上げる空の高さを感じ無限があるという事に気がついたらそこがスタートや。だから圭君は東京行くなら高い空を沢山見て勉強したらえい。こんな田舎でも圭君が帰って来る場所はここや忘れんとな』

おばぁちゃんはそう言って皺々の顔をさらに皺々にして笑った。

『バァちゃん』


圭亮はそのままじっとして動かなくなった。香奈はそんな圭亮の背中をじっと見ていたら胸の奥がプルプルと震えて止まらなくなった。そして香奈は縁側から離れるとおばぁちゃんの家にある釜風呂の焚き口に行き座って泣いた。

その涙がどんな意味を持っているか香奈はもう気がついていた。


ー圭亮君がおらんなるー




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今、目の前にある圭亮の背中は何だか少し違って見えた。
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