お蔵入り書庫
 
 それは、ある日の夕食中の事だった。


「──温泉! 温泉入りたい!!」

「……い、いきなりどうしたんだよ」

「今のCM見てなかったのかよ。俺は海より温泉だな〜」

「夏はやっぱり海じゃないの?」

「日に焼けたくないし、肌が荒れるから海はキライ」

「そういう所は女の子みたいだよな」

「そーゆー恭介は海派なのか?」

「別にそういう訳じゃないけど。そうか、温泉か……」


 考え込む恭介を気にする風もなく、食事を終えたヒメは自分の食器を片付け始める。

 立ち上がってキッチンへ行こうとすると、不意に恭介に呼び止められた。


「次の休み、泊まりで温泉行こうか」

「──はぁ!?」


 思わず声が裏返る程びっくりしたヒメは、ガシャンと音を立てて食器をテーブルに戻す。


「急に何言ってんの?」

「温泉行きたいって言ったのヒメだろ」

「言ったけど無理無理! 俺そんな旅行するような金無いし、次の休みって明後日じゃん。どこ行くつもりか知らねーけど、今から宿とか取れるワケないし!」

「格安っていうか、宿泊費とかは掛からないからさ。楽しみにしてなよ」

「……意味わかんねー」

「とにかく、行くって決めたんだから準備しといて」


 珍しく強引に話を進めてくる恭介に思わずヒメは不信の表情を向けてしまうが、そんな彼を気にする事無く2人分の食器をまとめた恭介はテキパキと片付けを始めてしまった。


「……温泉、か」

「ん? 何か言った?」

「いや、何でもねぇよ」


 思わず呟いてしまった言葉を隠して、ヒメは後片付けを進める恭介をチラリと窺う。

 行きたいと言ったのは確かに自分だが、まさか本当に行く事になるとは思ってもみなかった。

 同棲していて、ヤル事もやって、時には風呂にだって一緒に入る事もある恋人同士な訳ではあるが、泊りがけの旅行は初めてだ。

 何と無くだが、ジワジワと『温泉旅行』という言葉が染み込んで来る様な気がする。

 何と無くだが、心が浮き足立ち始めている。

 そんな自分に気付かないフリをして、ヒメは隣の部屋へと駆け込んだ。

 駆け込む時点で恭介には何か気付かれてしまったかもしれないが、そこまで気にする?気を?
 

……to be continued later!

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