ユーリカ
薄暗い部屋。

カーテンの隙間から、藍色に染まる空の光が、するり。

雀か何か、わからないけれど、鳥の、さえずり。

鼻腔を擽る香りに脳が心地好く覚醒してゆく。深い海の底から意識が浮上してくる。ゆらゆら。


──外の匂い。

少し冷たい朝の匂い。


背後の気配に気付いてのっそりと寝返りをうった。薄らと瞼に隙間を作って見えたのは、彼、の、後ろ姿。

今まさに、上着を脱ぐところ。


「おかえり……」

布団にくるまったまま、もぞもぞと口の中で言うと、彼は振り返って静かな声で「ただいま」と言った。

ベッドに近付いた彼に腕を伸ばす。私の意思を汲んで、彼が更に近付いてくれる。

彼が脱ごうとしていたジャケットにやっと手が触れて、私はそれをぎゅっと掴んだ。引き寄せるように力を入れると、彼はそれに逆らわずにベッドに膝を乗せた。

ジャケットの端を鼻先にくっつける。さっき感じた匂いが、ぶわ、と目の前に広がった。


「外の匂いだね」

目を瞑り、香りに酔いしれる。

ちょっと冷たい。だけれどとても満たされていて、朝露みたいに瑞々しい。微かに混じる砂埃の匂いすら、完璧な調合の結果に思える。


なんだかとても心地好い。このままもう一度眠ってしまいそう。

──あ、そうだ。


「ね、ここ寝て」

ポン、とベッドを叩いて彼を誘う。彼は私の頬を優しく、シルクの布みたいに優しく、撫でたあと「今着替えるから」と言ってベッドから離れようとした。


「あ、だめ」

もう一度腕を伸ばしてジャケットを(今度は割と強めに)掴み、彼を見上げた。


「そのまま。服着たままじゃないとだめ」

「埃っぽいよ」と彼は拒否しようとしたけれど、私は受け入れなかった。

彼は困ったように、ほんの少し眉尻を下げた。それから私が掛けていた布団を持ち上げて、するりと隣に体を滑り込ませた。

わ、冷たい。

彼の体全部から冷気が出てるみたいにひんやりする。でもそれがすごく気持ちいい。

彼が布団の中にきちんと収まるのを待ってから、私は彼の胸に顔を押し付けた。彼が腕を回してくれる。私は全部を包まれる。


彼の服に付いた、外の世界の残り香を、胸いっぱいに吸い込んだ。世界は淡く、藍に染まり、霧が掛かるビルの隙間に、太陽が優しく朝を告げる。

ああ、なんて完璧なんだろう。

まるい世界が、新しい日の始まりを、この世のすべてを祝福してる。

欠けてるものなんてないんだな。なかったんだな。ここに無いもの全部含めて、この世界は完璧だった。



鳥はさえずり、電車がそろそろ動き出す。私は眠るよ。だってこんなにも心地好い。

彼の手のひらが、私の頭を撫でてくれる。それがとても嬉しくて、彼の胸に頬を擦り付けたら、頭のてっぺんに、世界で一番愛しいキスを落としてくれた。


ああ、そっか、神様。

私、やっとわかったよ。




言葉にできない想いが喉の奥から込み上げて、涙になって零れたけれど、この涙の粒の意味も、起きたらきっと忘れてしまう。

でも私はこの時やっと、

生まれて初めて、泣いた気がした。




















ユーリカ

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