彼はマネージャー

恋心


 苦いコーヒーが身体にしみる。

 二塚壮四郎は一枚の紙切れを眺めながら、ブラックコーヒーをいつものように喉に流し込んでいた。

 マネージャールームで1人でいると、椅子をきしませつい考え事をしてしまう。

 議案はもちろん仕事のことで、今日も例外ではなかった。

『お前は頑張ればマネージャーも夢じゃない。すぐ昇ってこられる。俺はお前みたいな奴がこの会社には必要だと思ってる』

 もう3年ほど前になるか。たまたま、本社で会議があった帰り、廊下で話をしている声が聞こえた。

 声だけで分かる。社内で絶対的カリスマともいわれる存在感のある吉村部長だ。その吉村部長が誰を相手にそんな事を言っているのかと、つい興味本位で壁の向こう側をこっそり覗いてしまった。

 それが、あの、柚木であった。

 まだ入社して3年の柚木は真剣に吉村部長を見上げ、その激励に必死に応えるつもりなのが、目で分かった。

 それ以来、一緒に仕事をしたこともないのに柚木のことは一目置いていた。

 だから、マネージャー補佐になると聞いて、これは上にあげてやるチャンスだ!とはりきっていたのだが……。

 実際にはあの時とは全く違う柚木になっていた。

 まるで仕事に力が入っておらず、話が食い違い、会話が成立しない。

 あの時はそうじゃなかったのにと、何度も注意しようとしたが、盗み聞きした話で上から物を言っても、と諦めた。

 そんな矢先に、あの結婚式で勝己マネージャーと婚約中であることを知った。

 2人が恋仲になっていることはその時初めて知り、まさかと、一応席次表を確認したが、それよりも前に勝己マネージャーの顔が全てを物語っていた。

 それと同時に無言の圧力を感じた。

 だがまさか、先輩の婚約者である部下なんかに手を出すはずがない。

 しかも、そんな恋愛などに溺れ、仕事もまともにできない柚木になんて何の興味もない。

 俺は、勝己に無言で威圧返しすると同時に、柚木が憎くて仕方なくなった。

 絶対的存在の吉村部長にあれほど言わせておきながらも、すんなりと、あっさりと男に骨抜きにされてしまうような柚木に、怒りともいえる感情を抱いた。

 その怒りは渦を巻き、柚木がミスを犯す度、やがて、男としてめちゃくちゃに身体を貫きたくなった。

 その、普段俺をさけるような伏し目がちの瞳で勝己を熱く見つめ、少し隣を通っただけで大げさによけるような細く柔らかな腕を回し、下着が見えまいと気遣うスカートの中の丸い尻を、何度も何度も突かれ、または、空気が入ったように膨らむ胸を揉みしだかれ、果てているその身体を。

 勝己が好き放題教え込んでいるであろうその身体を、俺が壊してやりたくなった。

「…………」

 二塚は、もう一度コーヒーを飲んだ。ここが職場であることを思い出すために、目の前のパソコンのフォルダをなんとなくただ開く。

 キーボードの隣には、一枚の退職届があった。見慣れた直筆のサインは、柚木 香織。

 もちろんあの出張でした、キスのせいではない。女なら、好きと言っておけば簡単に思い通りに言うことを聞くようになると踏んで渡った、危ない橋のキス。

 勝己ではない俺を選んだのなら、上にあげてやることができる。それをあえて、「好きだ」と言っておくことで心を掴み、念願の身体も掴めると信じて。

 あの時、俺の作戦に溺れ、勝己のことを忘れるのなら俺がマネージャーにさせてやると考えて実行した、甘いキス。

 キスの後、もし、柚木が目の色を変えたのなら、最後まで抱くつもりだった。

 だけれども、キスの前もその後も。

柚木は、完全に勝己良成の女であった。

 焦って、もう一度キスをしようと肩を掴んだが拒まれた……。

 息苦しさに我慢しきれなくなってタバコに火をつけた。

 吐きだした煙は、すぐにディスプレイの上で無になる。

 ふとペン立てを見ると、柚木の名前が入ったペンが立てられていた。

 どこにでもある安物のボールペンで、わざわざ連絡するほどの物でもない。

 だけれども、一応、連絡しておくのが元上司としての仕事ではないのか、と考え直す。

 二塚は逸る心臓の動きに合わせるように、まだ長いタバコを灰皿でもみ消すと、携帯電話から柚木の電話番号を表示させた。

 いや、やっぱりペンだけでは不自然か……。

 まだ足りないと、立ち上がる。

 何かもっと、最もらしい理由になる物が必要だ。

あの……声を聞くためには。

二塚は今日の予算も、まだ取り掛かっていない引き継ぎも、何もかも一瞬忘れて、ただ目の前に突如現れた柚木に手を伸ばすがために、引き出しを一段一段開け、電話する口実がないかと探し始めた。
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