ひだまりの花
結局彼の言葉に甘えて休ませてもらう事になった。

「どうぞ。」

鍵を開け、中へと促される。

「お邪魔します…。」

部屋の中は彼から香る匂いと同じ匂いがした。

シンプルな机と椅子、応接セット、それからマッサージの為のベッドが置かれていた。

机の後ろには本棚もあり、解剖学から運動機能やリハビリテーション等といった幅広い専門書が綺麗に整理されて並んでいた。

「ここ座って楽にしてて。」

応接セットのソファに座らせてくれると、彼は奥へと入って行く。


すぐに彼がコップを持って戻って来た。
どうやら水をくんできてくれたらしい。
机の引き出しから薬を出し、水と一緒に手渡される。

「どうぞ、これで大丈夫そう?」

薬は市販の痛み止めで、私が使っているものと一緒だった。
「大丈夫です。ありがとうございます。」

お礼を言って早速薬をのむ。

聞いてくるのは30分後位だろうか、飲むのが遅れたから、もう少しかかるかもしれない。
そんなことを考えていたら、湯飲みに入ったお茶を差し出された。

「リラックス効果のあるお茶だよ、良かったらこれもどうぞ。」

ほわ~っと湯気と共に香るのは、彼やこの店に入った時に感じたのと同じもの。これが発生源だったんだ。

再びお礼を言って湯飲みを受け取ると、そっと口を付ける。
お茶の香ばしい味がすーっと体に染み込んで、少しだけ頭痛の痛みが和らいだ気がした。

「痛いのは頭だけ?他はない?」

反対側のソファに座って彼が訊うねてくる。

「はい。今日みたいな天気の日は頭痛が起こりやすいんです。今日はたまたま薬を持っていなくて…」

私の説明に彼はじっと耳を傾けている。

「さっきみたくなったことは?」

「初めてです。いつもはちゃんと薬を飲むし、そこまで酷くなったこともなかったので。」

彼はじっと私を見つめた後、すっと立ち上がり私の後ろへと回った。

「ちょっと触るよ。」

彼の大きくて暖かい手が私の額と後頭部に添えられる。そして親指で後頭部を押し出した。

強くもなく、弱くもない、絶妙な力加減。
そして何よりもその手の温もりが気持ちいい。

「頭痛の時にはね、ここがいいんだ。自分でやるときもここをさすってあげると楽になるよ。」

まだ会って間もない人なのに、マッサージ屋さんだからという安心感なのか、お茶の効果も手伝って私はすっかりリラックスしていた。
されるがままに首や肩ももんでもらう。

「大分重症だねえ。仕事はデスクワーク?」

手を動かしながら、彼が訊ねてくる。

「はい。パソコンで作業する事が多いです。今日は昼までに仕上げたい物があったので…」

「じゃあこっちもか。」

目の回りもほぐされ、気が付くとあっという間に時間が過ぎていた。
あんなに痛かった頭痛もすっかりおさまっている。

「どうかな?少しは楽になった?」

優しく微笑む彼に改めてお礼を言う。

「ありがとうございます。すっかりお世話になっちゃって。お陰様で頭痛も治まりました。」

深々と頭を下げると、彼も頷く。

「えっと、お金は…」

マッサージのプロに揉んでもらったのだから、当然お金を払わなければならないだろうとバッグを探りながら訪ねると、

「今日はいいよ、丁度休憩時間だったし、これは僕からのサービス。」

休憩時間を潰してしまったなら尚更悪いんじゃなかろうか。

「でも…」

なおも食い下がろうとする私に、彼はまた微笑んだ。

「また来てくれたらいいよ。今度はちゃんとお客として。」

そう言って彼は机から名刺を持ってきて私に差し出した。その名刺を受け取り、私は渋々頷く。

「わかりました。じゃあ今度改めてきます。」

お返しに私も鞄から名刺を取り出して渡す。

「あんまり無理しないようにね。」

彼も名刺を受け取り、出入口まで誘導してくれる。

「またね、由香ちゃん。」

ドアを開けながら笑顔で言われ、私は思わずドキッとしてしまった。
でもそれは顔には出さず、こちらも笑顔で返す。

店を出て、エレベーターホールに回ったところで、私は思わずクスッと笑ってしまった。

「由香ちゃんだって。」

この歳になると中々まわりから"ちゃん"付けされる事は少なくなる。
性格もあってか友達からは呼び捨てで呼ばれている。
会社ではそもそも名字で呼ばれる事の方が多いし、三奈ちゃんみたいな後輩は"さん"付けだし。
今ではもう両親か親戚のおじちゃんおばちゃんくらいかもしれない。

そんな久し振りの呼ばれ方にくすぐったくなりながらエレベーターへと乗り込み、貰った名刺を改めて眺める。

「日野、雅巳さん。」

雅巳さんの向日葵みたいな笑顔を思い出して、心の中がほんわか暖かくなった。
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