下町退魔師の日常
「大人しくて素朴な感じの人だったよ。その当時、俺の衝動の事も分かってくれている唯一の人だった。だから、俺が一人で山に入る時も、旅館の従業員にはうまく誤魔化してくれてたりしてな。でも」


 何処か懐かしむような、遠くを見つめていた久遠くんの視線が、哀しげに憂いを帯びる。


「ーーでも、ある時俺が離れようとしたら彼女は止めたんだ。嵐が来ていたし、夜だったから・・・」


 その後の事は、大体想像がついた。
 山道は危ないからと止めた彼女を、久遠くんは傷付けたんだ。


「幸い、命に関わるような怪我じゃなかったけど・・・それでも、消えない傷跡が彼女の腕に残ってしまったよ。当然、旅館の社長と女将さんは激怒してね。彼女はそれでも庇ってくれたけど、俺は旅館には居られなかった」
「そんな・・・事が、あったんだ」


 あたしはギクシャクと、相槌を打った。
 そりゃあ、過去に恋人がいたっておかしくはないけど。
 いやむしろ、居ない方がおかしいくらいだけど。
 なぁんか複雑・・・。
 お互いに納得して別れたんじゃないんだ。
 むしろ、自分の衝動の事も正直に打ち明けているくらいだから、本当に信頼してたんだろうし・・・彼女も、そんな久遠くんをちゃんと理解して受け入れてたんだ。
 今は、彼女の事を・・・どう思ってるのかな。


「味噌汁だけでも作ろうか?」
「・・・・・・」
「マツコ?」
「え? あ、あぁ大丈夫だよ。久遠くんも食べよ。お腹すいたしー」


 あたしは慌てて笑顔を作り、いただきまぁすと箸を持つ。
 そんなあたしを、久遠くんはじっと見つめて苦笑した。


「もう終わった事だよ。そんな泣きそうな顔すんな」
「なっ・・・泣いてないよ」
「今にも泣きそうだぜ?」
「違います!」


 あたしはガツガツとご飯をかき込んだ。
 なんか・・・これ以上からかわれたら、ホントに泣きそうだよ。
 さっさとご飯食べて寝る!


「ホント、可愛いよな」


 クスクス笑いながら、久遠くんは呟く。
 も、やだ。
 早くこの場から失せたい。
 何とか堪えてご飯を平らげて、あたしは茶碗を片付ける。


「も、寝る!」
「はいはい」


 笑いっぱなしの久遠くん。
 なんか、ムカつく。
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