下町退魔師の日常
 あたしが退院して話をしたあの日以来、町のみんなは少しだけ松の湯と距離を取るようになっていた。
 前は、商店街に買い物に行けばあちこちで立ち話が始まって、あっという間に二時間くらい経っちゃうのに。
 久遠くんだって、あと30分もしないうちに帰って来るだろう。
 誰も、久遠くんに声を掛けないから。
 鬼姫と侍の子孫だと打ち明けた久遠くん。
 彼は、祠の扉を開けられる可能性がある。
 戦おうと思えば、いつでも鬼姫を呼び出せるのだ。
 だけど20年前の惨事を目の当たりにした人達は、そんな久遠くんを遠ざけている。
 変わらずにいてくれるのは惨事を目の当たりにしていない若い世代の人達と、シゲさんくらいだ。
 みんな、久遠くんとあれだけ仲良くしてくれていたのに。
 久遠くんは何も言わないけれど、多分、辛い筈だ。
 ――・・・どうしたらいいんだろう・・・。


「マツコぉ。いるかぁ?」


 クーラーボックスを抱えて入って来たのは、シゲさんだった。
 そして、あたしの顔を見るなり。


「どうしたマツコ、腹でも痛ぇのか?」
「何でよ?」
「死んだ魚みてぇな顔してるぞ?」


 ・・・余計なお世話です。
 あたしの顔って、そんなに分かり易いかなぁ。


「魚と言えばなぁ」


 言いながら、シゲさんは得意そうにクーラーボックスを開けた。
 中には、魚が何匹か入っている。


「何この魚?」
「おめぇ・・・アジも見分けがつかねぇのか?」


 呆れたように、シゲさんが言った。
 あー、これがアジ。


「今朝早く海に行ってな、大漁だったんだよ。だからマツコと久遠に食わせてやろうと思ってなぁ」
「それはありがたいけど・・・うち今日、シチューだよ?」
「バカヤロー、シチューなんてシメに食えばいいだろうが。こんなに型がいいアジなんだ、刺身にでもすれば立派なツマミになるだろ?」


 あ、なるほど。
 そっちですか。
 要は、これで一杯やりたいんだ?
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