潮にのってきた彼女
「急に、悪かったな」


欄干から体を離して慧は言った。


「全然。大したことじゃないとか言ってたけど、大したことだったしな」


どう考えても大したことだったし、わざわざ呼び出して教えてくれて、嬉しかった。
それに慧は、狭い部屋でぐるぐるぐるぐるとさまよっていた俺を、開けたところへ連れ出してくれた。


慧は遠くの景色を眺めているように見えた。十何年間住んだ場所の景色。海があって空があって光がある。
俺の何百倍もの時間この美しさを眺めてきた慧や島の人々にとって、それらはどんな風に映っているのだろう。


「そろそろ、夏休みも終わるなあ」

「そうだなあ。また学校が始まって、一緒に夏が終わる」

「甲子園も終わったしな。あ、そうだ」


野球、の2文字が脳裏にひらめいた次の瞬間、慧が口にしたのは俺から言葉を奪うのに十分な衝撃を持った内容だった。


「来る途中、夏帆ちゃんに会って聞いたんだけどさ、今、うちの高校の近くで、本土の野球で有名な高校が合宿してるらしいんだ」


本土の野球で有名な高校。その一言で、俺の頭の中には数十にのぼる高校名が現れた。

歴代の甲子園での優勝校。毎年出場している高校。練習試合をした高校。自分の高校。


ひいらぎ岬へ言った帰り、夏帆が言っていたことを思い出した。

合宿、その噂は確かに聞いていた。地方紙を読み漁ったりして、数日が過ぎて、今度はアクアに会いに行った。そして無責任な海鳥の鳴き声を聞いた――


練習の時に、入江高校のグラウンドを使ってるらしいんだ、今の時間なら練習中だろうな、という世間話をして、それからまた少し謝ってから、慧は帰って行った。

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