シンデレラを捕まえて
「あ、あの、降ろして」


帰宅ラッシュの駅前には人が沢山いる。
その中で抱っこされているというのはとてつもなく恥ずかしかった。びっくりしすぎて止まった涙の残骸を拭いて、穂波くんに懇願した。


「あの、歩けるから、私」


しかし彼は無言のまま歩き続けた。ようやく足を止めたのは、ユベデザインの近くのコインパーキングだった。一台のワゴン車の前で、私はやっと地面を踏むことができた。
穂波くんは助手席のドアを開け、「乗って」と有無を言わせない強さで言った。


「あ、はい……」


おどおどと言われた通りに乗る。ふわっと木の匂いが鼻を擽った。後ろを見れば、荷台に木材が積まれているのが見えた。穂波くんの仕事用の車……?
リヤシートに私のバッグを載せた穂波くんが運転席に乗り込んできた。エンジンをかけ、そのままコインパーキングを出る。


「あの、穂波くん、どこ行くの?」

「俺んち」

「は?」


ぽかんと口を開けてしまう。なんで?


「部屋に帰れないんだったら、しばらく俺の家にいたらいい。一人暮らしだし、部屋は余ってる」

「あの家、って、あの工房の横の?」

「そう。俺が送り迎えするから、ユベデザインに通うのに問題もない」


山裾にある工房に隣接していた古民家を思い出した。一人暮らしだったら確かに部屋に余裕はありそう。だけど。


「え、えー? だ、だめだよ、そんな!」


そんな問題ではない。


「なんで」

「だってそんな、甘える訳にはいかないっていうか!」

「じゃあ、部屋に帰るの?」


ハンドルを握り、前を見たままの穂波くんは言った。


「栗原さんが怖いんでしょう? 怯えて過ごすの?」

「…………」

「いや、言い方よくなかった」


がりがりと穂波くんが頭を掻いた。


「ごめん、ちょっとイラっとしてた。いや、美羽さんにじゃないよ? 栗原さんに、ね。いつまで美羽さん困らすんだよ、って思ったらさ」


信号が赤に変わり、車がゆっくりと停車する。ハンドルに凭れて、穂波くんはため息をついた。


「その足の怪我は? まさか栗原さんが?」

「あ、これは、比呂が部屋の前まで来て、その、ちょっと怖くておろおろしてるときにコップ割っちゃって」


自業自得なの、と言えば穂波くんが「ふうん」と言った。


「まだ我慢できる理由、かな。でも腹立つ。美羽さん怯えさせるなんて、最低だ」


信号が青に変わる。夕暮れ時の道路は少しばかり混んでいた。赤く染まってゆく山へ向かって走る車。


「ねえ、美羽さん。とりあえず、事情を教えてくれる?」


穂波くんに訊かれて、頷いた。傍にいてくれる安心感が、口を滑らかにしてくれた。


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