「恋しい人」 番外編 ~めぐる季節…2.5 ~ 
前編
 東京最大とも言う歓楽街のデパートとテナントビルが犇(ひしめ)く通りをひとつ、ふたつ…と越えて行くと、街並みは次第にひっそりしてくる。それでもカフェがところどころに軒を出して、ビジネス街だろうかと知らぬ者は思うくらいの自然さで、その大都心の懐に抱えられているもうひとつの歓楽街が始まるのだった。

 生命の危機感というならこれを言うのだと駿太郎は震え上がり、駿太郎は自分の唇がその色と熱を無くしていくのを感じた。白くなっていく自分の顔がまるで目に見えるようだった。気をつけなきゃと思っていたのに、と頭のどこかで思っている。
 辻に差し掛かったところで追いついた男は思いのほか優しい声で「迷ってるの?」と駿太郎に尋ねた。とにかく逃げ出さないと、と思っている駿太郎の手首を握って、その手の力はとても力強いのに声だけは柔らかくその男性は「ねえ、訊いてるじゃん、迷ってるの?」と重ねて尋ねた。キャップの下の顔は翳って見えない。コートの上からでもわかるがっちりとした体躯は、力ではとても勝てそうになかった。逃げなきゃと手を引くけれど男はさらに力を込めたらしかった。

 「あぁ!こんなとこにいたの。だから気をつけろって言ったのに。ごめん、俺の連れだから。」
 駿太郎の背後で口早にそう言った男は駿太郎の手を取るとさっさと歩き出した。少なくとも駿太郎が逃げようとしていた方向であったことには違いなかったし、とにかくその場を逃げ出すことを考えて駿太郎は黙ってその背の高い男に手を引かれて行った。

 見覚えのある通りに出ると男性は駿太郎の手を離し微笑んだ。
 「やっぱり君だったんだ。あっぶなかしいと思ってた。あっちのレンタルビデオ屋から出てきた時にもそっちの雑貨屋の前でも見かけたんだ。初めてなんだろ?気持ちは分かるけど危ないよ、とくにあの一角は。」
 「ごめんなさい。ありがとうございました。考え事してて、つい…」
 「謝らなくてもいいけど。」
 男性は笑って、物を書く手ぶりをする。
 「持ってる?何か。」
 「…?書く、もの?えっと…ええ。」
 駿太郎はリュックの中からルーズリーフとペンケースを出した。
 「学生さん?」
 「そうです。」
 「何で分かるんですか?」
 「ルーズリーフ持ってるから。」
 「あぁ…」
 男性はルーズリーフを四つ折にして線を何本か書く。
 「いま、ここ…ね。」
 それは、地図だった。
 「こういう向きで、ここにも少し大きめの通りがある。ここまでは行っても大丈夫。ここはこの先はだめ。こっちもだめ。こっちは大丈夫…んん?何?」
 この人なら、聞いても大丈夫だろうか。図々しいだろうか。でも…。
 「あ、あの…!こんなこと、あれなんですけど…どこか、こう、静かで、くだらない話を聞いてくれる、物分りいいママさんがいるような、そんなお店、知りませんか?」
 「そりゃまた…。うーん、まぁ、あるっつっちゃー、あるし、でもそんな店があれば流行ってるだろうから混んでるんじゃないか?」
 「あ…。そ、そうですね。」
 「うーん、じゃぁ、そうね。分かった。ちょっと待ってくれる?」
 男性はペンと紙を駿太郎に返して、携帯電話でどこかに電話をかけた。おそらく向かいかけていた先なのだろうか、手短に事情を説明して電話を切った。それから通りの先を見つめて何かを考えるような表情を浮かべて、小さく頷くと「こっち」と駿太郎を案内しながら先を歩いて行った。


 よく見なくてもいい男だった。どちらかといえばという程度の痩身で背は高い。年の頃は二十四、五に見えるけれどもしかしたらもう少し若いのかもしれなかった。そう思うのは駿太郎の知っている同じくらいの背の高い人物が、実際の年令よりも一つ二つ年上に見えるからだった。
 悦楽と堕落が隣り合わせる背徳感に塗(まみ)れた町の程近くのカフェで、その男は長い足を組んでアイスティーをストローで啜った。
 「で、下らない話というのは?」
 と、その見知らぬ男は言った。
 駿太郎は、手持ち無沙汰にアイスラテにささったストローをクルクルと回した。
 「えっと…。何から話したらいいんだろう…。」
 テーブルの上で男性の携帯が鳴った。男性はごめん、と携帯を取る。友人だろうか。アイスティーのストローを弄りながらにこやかに受け答えて電話を切ってごく自然に尋ねる。
 「まず、名前は?」
 「平賀駿太郎です。」
 「フルネーム。それ、本名?」
 「え?え…と、ほん、みょう、です。」
 「いいけど…。普通、こういうところでは通り名とか下の名前とかだけでいいと思う。あまり本名とか言わないし、名刺のやりとりもしない。それから、」
 男性はそこでアイスティーを一口二口啜って続けた。
 「相手が名乗らないなら、君も名乗る必要はない。これは俺ルールだけど。大体、仲良くなりたいと思ってるなら普通は自分から名乗ると思うし。まぁ、それだって本名ではない可能性がある訳だけどね。それからね、俺が悪い人だったらどうするの?実はさっきのやつとグルになってて、悪い人から助けてあげたふりで、いいお店紹介してあげるよって、君の事ホテルに連れ込んで色んな事できちゃうわけだよ。」
 駿太郎は呆気にとられて言葉も出なかった。

 「そう簡単に人を信用しちゃダメだよ。君と同じ性癖だからって皆が君と同じように考えている訳じゃない。生きづらさを抱えていることを分り合えるんだ、って、君はそう思って来たのかもしれないけど、皆が皆そうやって支え合いたいとか励まし合いたいとか考えてここに集まるわけじゃない。」
 男性は一息にそう言ってアイスティーを飲み、ストローをさくさくと挿した。
 「どうして…。」
 「どうして、分るか?君が何を考えていたか?僕もそうだったからさ。それからついでにもうひとつ、先に答えておくと、僕もこうやって助けられた事があったからさ。ペイイットフォアワード。次は君が同じことを誰かにしてあげたらいい。その時は突然やってくるものだ。僕の経験から言うと。」
 そういってその男は笑った。

 駿太郎はカフェラテを一息に半分飲んだ。それから、ここへ来た経緯、この町のバーの物分りのいいママに話したかったことを全部、その男に少しずつ打ち明けて行った。
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