虫の本
 彼女の出で立ちは、一見すると登山用の装備に見えなくもないけれど、腰にぶら下がる小さなシザーバッグからは、得体の知れない工具のような物が見え隠れしている。
 そこからはみ出したナニカのグリップが、更にその服装が登山を目的とした物では無い事を如実に語っていた。
 日本国では一般人の所持は認められてはいない、火薬式の遠距離射撃武器。
 凶器。
 もちろん私は実物なんて見た事ないけれど、無節操に様々な物を収集する癖のある彼氏の部屋で、似たような模造品なら目にした気がする。
 ……物騒な人なのかな?
 敵意や害意は全然感じないし、むしろその逆の雰囲気もあるのだけれど。
「心配しないで。別に取って食べたりはしないから」
 どうやら見透かされているようだった。
 彼氏を相手にしてるみたいで、調子が狂いそうだ。
「由加ちゃんって言ったっけ? えーと、ゆっちゃんって呼んで良い?」
「えっ? は、はい……」
「あはは、そんなに緊張しないで──って、いきなりは無理か。そこら辺はおいおい、でも敬語は止めて欲しいかな」
「う、うん……」
「ありがとね」
 無茶苦茶だった。
 拳銃をぶら下げた人間に、いきなりタメ口利けるような度胸なんて、私には無い。
 けれどそれは彼女も理解してくれているようで、特に強要してくる事も無く、あえて必要以上にフレンドリーに振る舞っているようにも見える。
 気遣いが出来る人ではあるようで、私は少しだけ警戒を緩める事にした。
 悪人かどうかは別として、自分勝手な人間ではない気はする。
「えっと、こっちだったかな……」
 本棚の隙間で足を止めた彼女は僅かな間だけ思案を巡らせ、進路を右に取る。
「あの、どちらに向かってるんで……っと、どこに向かってるのかな?」
 取り敢えず、彼女のリクエストに従って敬語は使わないでおく。
 向こうが私を気遣ってくれてるのなら、私もそれに応えるのが礼儀だと判断したからである。
 見知らぬ地に見知らぬ相手と二人きり。
 なら、せめてペアとは仲良くしておくに越した事は無い──はずである。
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