僕を止めてください 【小説】
切なさそうに堺教授は呟いた。急に僕は胸がいっぱいになった。居場所がないこの世に、どうにかしてそれを作ってくれようとしている堺教授の気持ちに触れて。
「そんなに、考えて頂いて…いいんでしょうか」
「いい大人にそんなこと訊かないの」
「でも…」
「だって仕事はガツガツやってもらうのが前提だよ? 甘い話でもないからね、これ」
「それはわかってます」
「わかるなら、私にまず体調の報告すること。これは私がここの責任者なんだから、当然ちゃ当然でしょ。ほんとはね、助教で入って欲しいところなんだよ。でも君が面接の時に、給料安くても良いから研究員兼技術専門員扱いでってゴネたから、そういうことになっちゃってるけど。君が教育に関心があればいいんだけどねぇ」
「残念ながらそれはないです」
「はっきり言うね…」
「僕は結婚するつもりもないですし、別に生きていければカツカツでも構わないんです」
「君の好き嫌いもいいけど…君のスキルを後継者にわかりやすく教えて上げて欲しいんだけどなぁ。法医学のためにさ。君もこの世界でやっていくなら、ある程度そのシステムにも寄与して欲しいなぁなどと考えるのよ」
そうだ。僕はこの業界に寄生しているだけの穀潰しだ。その自己認識は合っている。僕は誰かのために生きるという観念がない。それは僕の興味が狭すぎるのが半分原因だが、僕が他者に関わることが禁忌だからという理由も半分だった。僕はこの世には居ないほうがいいと、ずっと思っていたのだから。でも堺教授は、そうは思っていないようだった。僕がここに居れる理由を、僕自身が作り出し、そして、その次の世代の僕のような誰かのことまで考えているのだから。その視野を僕は堺教授の言葉を通して、初めて知ったことになる。それは僕の考えてこなかった新しい視野だった。
「まぁ、とにかくそれはまだいいから、体調のこと言ってよね。私が休んでいるときはメールでも電話でもしてくれればいい。わかった? 約束ですよ?」
「あ…はい…わかりました。約束します」
「うん。それでよし、と。あと、またゆっくり話そう。じゃ、遺体の説明するからね」
そう言うと教授は小さい遺体に向き直った。そしてフゥっとため息をついた。