あなたへ。
 私は首を傾げる。
「どこか行きたいところはある?」
「ううん」それから、
「あなたは?」
「僕?」
「うん」
「僕もないなあ」
「そうなの?」
「そう」
 それからはお互い何も喋らなくなって、お店の中を流れる音楽が大きくなって聞こえた。私は目の前にあるカップに視線を落とす。
「僕さ、」
 彼が話し出した。私は少し上目遣いで彼を見る。
「今まで女の人とどこかに行ったことが無いから、こういうときはどうしたらいいかよくわかんなくて……」
 彼は恥ずかしそうに頭をかいた。
「そうなの?」
「そう」
 彼はまた頭をかく。目線はちょっと私からずれている。
「私もない」
「え?」彼は私を見る。
「私も男の人とどこかに行ったりしたことない」
「そうなの?」
「うん」
「そうなんだ」
「うん」それから、
「だから私もよくわかんない」
 私も恥ずかしくなった。
「今まで誰かと付き合ったりしたことないの?」
「うん」
 さらに恥ずかしくなる。
「ちょっと意外だな」
「なにが?」
「井上さんが誰とも付き合ったことがないなんて」
「興味がなかったから」
「そうなの?」
「たぶん」
「ふ~ん」
「うん」
 私は恥ずかしさを紛らわすため、彼の顔を見ないようにして両手でカップを持ち上げ、中身を少し飲んだ。
「こういうときってどうするんだろうね?」彼がそう言って、「どうするんだろう?」私がそう言った。
 彼が笑顔になる。私はチラッと彼を見る。その後、私も笑った。
 彼が驚いた表情をする。
「どうしたの?」
「僕、井上さんが笑ったところ初めて見た気がする」
 一気に恥ずかしくなった。顔が赤くなったと思う。絶対。
 彼はまた笑顔に戻った。
「僕、一人で空回りしていたと思ってたんだ」
「空回り?」
「井上さんは高校のときからあまり表情を顔に出さない人だったけど、僕と一緒にいても無表情でずっとつまらなそうだったから」
「そんなことない」
「そうなの?」
「たぶん」
「そうなんだ」
「絶対」
「絶対?」
「つまらなくない」
「そうなの?」
「うん」
 彼はまた笑った。私も少し笑う。
「仲間だね」
「仲間?」
「そう。どちらもわからない同士」
「うん」
「この後はどうすると思う?」
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