祭囃子の夜に

 三重子が帰宅したのは、午後四時を回った頃だった。

 徐々に日が傾き始め、祭りの気配も佳境にさしかかっている。

「ごめんねぇ、酒屋さんで話し込んじゃって」

 居間でひたすらテレビを眺めていた翔一は、話し込んだというには長すぎる時間に怪訝な表情で三重子に視線を送った。

「あー、あの、ほら。お祭りもちょっと観に行ってね」

 慌てたように少し早口で言う三重子に怪訝な眼差しを向けたまま、翔一はおもむろに立ち上がって三重子が持っていたビールのケースを無言で受け取った。

 そして台所まで運んでいくと、ケースを開けて、空けておいた冷蔵庫のスペースに並べていく。

 居間には押し入れに仕舞われていた座卓を引っ張り出してきて、もう一つ並べて置いておいた。

 座布団も人数分忘れずに並べてある。

 帰りの遅い三重子を考えて、せめて用意出来ることはやっておいた。

「あらぁ、ありがとうねぇ。助かるわぁ」

 エプロンの紐を結びながら微笑む三重子に、翔一はそっけなく「うん」とだけ答えると、ああそうだとシンクの下を指さした。

「ビール、ストックあったから。そっちはもう作業場の方に入れてあるよ」
「あ、ああ。そうだった? 嫌ねぇ、忘れっぽくなっちゃって」

 先刻からどことなく様子がおかしい三重子をちらと見遣って、まぁいつものことかと再びビールを並べる。

 一通り並べ終えると、翔一はそそくさと居間に戻って用意しておいた薄手のブルゾンを羽織った。

「出かけるの?」
「ちょっと……。皆が戻ってくる前には帰って来るから」
「あ、そういえば。今年の神楽、結衣ちゃんが舞うんですってね。もうそろそろだし、もしかして観に行くの?」
「別に!」

 素直にそうだと言えず、逃げるように居間を飛び出す。

 勢いで閉めた玄関が、バシャリと必要以上に鋭い音を立てた。

 結衣の舞を観に行くか否かは、ギリギリまで悩んでいた。

 つけていたテレビもただ流していただけというのが本当の所で、結衣の晴れ舞台を観たい気持ちと、誰にも会いたくないという後ろ向きな気持ちのせめぎ合いに悶々としていたのだった。

 結局、翔一はこうして外に出ているのだが、それも三重子と二人であれこれと食事の準備をするよりマシだと判断したからだ。

 二人だけの作業は、その分話をする機会も多い。

 高校の――野球のことについての話題を避けきる自信が無いという逃げ道だった。

 住宅街の向こう、大通りからは賑やかなざわめきが聞こえてくる。

 遠くの方で鳴り響くお囃子の笛の音は、あかねのものだろうか。

 神社は大通りを真っ直ぐ抜けた先にある為、そちらへ出た方が早いのだが、翔一はこのまま住宅街を抜けようと歩みを進めた。

 神楽を観に行こうと決めたものの、見知った人物に会いたくないという気持ちは変わっていなかった。


 しばらく進んで、翔一は路地へと入っていった。

 星霜路地と呼ばれるこの路地は、神社近くへ抜ける近道へと繋がっている。

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