チューベローズの深層心理
001
くぁ、と欠伸を噛み殺した金曜の夕方。

私の正面、後ろを向いて座る友人が、私のノートを書き写し終えるのをただひたすらぼーっと待っている。彼女は午後の授業をずっと寝て過ごしていたらしい。はっきり言うのもなんだが馬鹿だ。

あと1ページといったところでんんと伸びをした友人の間抜けな声に混ざって、かさりと草が揺れる音がした。

「っ、ねこ?」
「ん?猫?」
「…あ、いや、気のせいだった」
「?」

教室にいるわけないじゃんと笑いながらまたシャープペンシルを握って気合を入れ直した友人を横目に、窓から見える校庭の隅っこをちらりと見遣った。黒い影。

「…あとどれくらいで終わりそう?」
「んー、三十分?」
「ドラマの再放送始まるから、早く」
「わかったわかった」

トントンと机を叩いて急かすと、文字を書くスピードが少しだけ速くなった。最初からそうしろと言わないのが私の優しさだ。

「髪、染め直したの?」
「うん。生活指導、煩いから」

前より少しだけ暗くなった焦げ茶色の短いボブヘアは、落ち着いた雰囲気の彼女によく似合っていた。染めたことのない黒髪の私が言うのもおかしな話だが、傷んでいる様子のない彼女の髪はきっと女の子からすると憧れるべきものなんだろう。馬鹿だけど美人だし、優しいし、空気は読めるし気が利く。馬鹿だけど。

「すーちゃん」
「ん?」
「早く帰ろう」
「…わかった」

全て写すことを諦めた彼女は要点だけを纏め終え、ノートをパタンと閉じた。私の元に返ってきたそれを鞄に押し込み、教室を後にする。ノートはまた月曜日にでも貸せばいい。


今日はやけに、虫が多い。


「羽音、煩いから?」
「それもある」
「ドラマの再放送あるんだっけ」
「そうそう」

何も言わなくても察してくれていた彼女がここ最近いちいち確認してくるのはきっと、私のお母さんが亡くなってから一年が経つから。じゃり、とコンクリートの上の小さな石を踏み潰して、すーちゃんと並んで帰路を歩く。

「明日、お墓参り?」
「うん」
「…独りで?」
「うん、一人で」

優しいすーちゃんのことだから、きっと言外に意味なんてない。無意味に意味を生み出してしまうのはきっと、私が捻くれているから。だけどそれを指摘してくれる人なんて、この場にはいなかった。

「じゃあ、また月曜日にね」
「うん、バイバイ」

ひらひらと手を振って、別れ道。寂しいし苦しいのはきっとお別れしたからじゃなくて、急に耳から情報が大量に入ってくるから。すーちゃんの声だけを聞いている方がマシだった。


〝耳が良いなんて、何の役にも立たない〟


そう思っていたのが、昨日までの話。
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