南柯と胡蝶の夢物語

10,夢幻泡影


10,夢幻泡影


命が欲しい。
命が欲しい。

命を入れる欲望というのは、命を抜く欲望よりも数多く存在した。
その頃は妖精とも悪魔とも呼ばれていなかったその人は、それらの声のいくつかに反応して、抜いた誰かの命を入れてやる。
若い頃は少し悪戯好きなところもあって、用もない人間に姿を見せたりもした。
神だと崇められるのが面白いとも思った。
人間達が自分の存在を利用して、神のお告げだとか言って他の人間を動かすのを笑って見ていたりもした。
しかし、それも段々飽きてきた。

命が欲しい。
命が欲しい。

そんな言葉が怨嗟のように聞こえる。
しかし、黙れと言ったら自分の存在意義が無くなってしまう。

命が欲しい。
命が欲しい。

それぞれの悲痛な叫びがこだました。
来る日も来る日も来る日も、その声に気ままに反応して命を与える。
ある日、いつも聞こえるようなその声に混じって一際大きな声が聞こえてきた。

命を。
命を咲かせてくれ!

そんな必死な声に導かれるようにして、その青い翼を持つ人は声の主の元へ行くと、ぼさぼさ頭の男がいた。
いつものように、その人間の前に姿を現すと声をかけるよりも先に、その男が喘ぐような声を挙げた。

「……青!」
「は?」

ずれた眼鏡の向こうで目をぎらめかせながら、青だ青だと呟く男をぽかんと見つめる。
名前の要らない自分は散々神だ悪魔だと言われたが、ここまで自分の存在について無視されたのは初めてかもしれなかった。
男はころがるようにその人に近寄ると、縋るようにその青い羽に手を伸ばした。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!あなたは、命が欲しいんじゃないんですか」
「命?欲しいともさ!この、花に与える青い命を!」

そう言って男は白い薔薇の咲く鉢を差し出した。
いや、今まで見ていなかっただけで、この部屋にはたくさんの薔薇が置かれていたのだ。

「青い命って何のことですか?そもそも今私は薔薇の命は持ってな――」
「ああ、よくわからんが、君のその青い羽根を一枚くれないだろうか」
「……羽根を?なんでまた」
「そりゃあ、君。俺の夢を叶える為に決まっているじゃないか!俺と、愛する妻の夢を。いや、人類の夢をだ!」
「説明する気がないでしょう、あなた!」
「しているじゃないか!」

だめだこりゃ、と頭を抱えるその人に、男はふむ、と頷くと落ち着いたようになって椅子に座った。

「それもそうだな」
「え?ああ、いやまあ、分かればいいんだけどさ……」
「いや、悪かった。青が欲しくて欲しくてたまらなかったんだ。それで君の青い翼を見たら……これはもう、飛びつく他にあるまい?自然の摂理というものだろうよ、なあ」

先程の様子と打って変わって、悠々と席に収まる男をしげしげと見つめた。
どうやらこっちが地らしかった。

「いやあ、しかし君のような存在に会えるとは思わんだ。こりゃあ、ペガサスだとかグレイに会える日も近いだろうよ、君」
「なんだか知らないが用件を言ってくれ。私だって暇じゃないんです」
「焦りなさんな、未知の人。それに用件と言ってもなあ、俺が呼んだわけでもあるないのに、一体何を話せと言うんだ?」
「あなたが呼んだんですよ、それはもう大きな声でね」
「俺がここ一番で挙げた大きな声は……『夢かーっ⁉︎』だと思うが」
「なんの夢を見た。ああいや、それはどうでもいいんですけど」

あれは猛暑日の朝だった、と身振り手振りで説明しだす男を制して、その人はため息をつく。
どうやら大きく当てが外れたようだった。

「おいのちが、欲しいなんてことは無いんですね?」
「君は何故何回も同んなじことを聞くんだ?欲しいに決まっていると言っているじゃないか」
「だから、私にどうして欲しいんです⁉︎」
「つまりな、この白い薔薇を青くするような命が欲しいのだよ」
「できるか!」

声を荒げて言葉を返すと、その男は何故かにやりと笑って断言した。

「君なら出来る!自信を持ちなさい」
「持ちませんよ!大体なんで白い薔薇を青くしようだなんて……」
「そりゃあ、青い薔薇が作りたいからに決まっているじゃないか!」
「白い薔薇を青く染めれば青い薔薇になることぐらい分かりますよ!だから、なんで薔薇を青くしたいかきいてるんだ。黄色も赤もオレンジも綺麗じゃないか!」
「でも青い薔薇は無いだろう?だから見て見たいのだ」

自信満々に笑ってみせる男に、疲れたように猫背になってその人はまたため息をついた。

「なんでまた青。そして薔薇。どうでもいいじゃないか。薔薇だって好きに生きてるんですから好きに生きさせてやりましょうよ」
「ではきくがね。君、死んだ後の世界に興味は無いかな?」
「私は死なない」
「馬鹿な。この空間に有るものには必ず終わりが来るのだよ。有の反対は無だ。必ず無が来るのだ」
「……いや、それ説明になってな」
「考えて御覧なさい、未知の人。今感じている自我が無くなった世界を」

言われた通りに思いを馳せる。
しかし生を持たないその人は、死を思い描くことがどうしても出来なかった。
考え込むその人の目に、歪な形をした器具が止まった。

「あれ、なんです?」

それを指差してそう男に尋ねると、男はああと応えた。

「顕微鏡だよ、電子顕微鏡」
「……顕微鏡なら私も知っていますが、間違ってもこんな形じゃあない」
「そうか、なら君が思っているのは光学顕微鏡だな」

そこまで言うと、そうだ、と男は目を輝かせた。

「この顕微鏡はな、小さいものを立体的に見ることができるのさ。しかも、とてつもなく小さいものでも」
「へえ?見せて下さいよ」
「だろう?見たいだろう⁉︎見たくて見たくて、苦しくて仕方がないだろう!今なら投身自殺も出来るだろう⁉︎」
「そんなわけないでしょう!」

突然に大きな声を出す男に突っ込みを入れるも、男はますます豪快に笑うのだった。

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