たかしと父さん
主人公が10代の青年だったころ
僕は平凡な人間だとずっとそう思っていた。そしてきっと、本当にそうなんだろう。平凡な僕を人は見て「ああ、平凡な人間のステレオタイプみたいな奴だな」とそう思うのだろう。ちょっと僕の服装に注目してもらえれば「平凡な男子高校生ってこういう奴だよね」とそう思ってもらえるに違いない。ステレオタイプっていうのは便利な言葉で、決まってこういう「男子高校生が主役みたいな」話には女子高生も出てきて、そちらは決して「平凡な女子高生」としては登場しない。主人公の僕が平凡だから、そこに出てくる女子高生のステレオタイプは「美少女」と決まっている。ステレオタイプっていうのは誤解を恐れずに書くと「ある単語を聞いてみんなが一番共有しやすいイメージ」のことだ。ちょっと前に友達にすすめられて読んだライトノベルに出てきた女子高生は、たまたま名前が僕の通う高校のソフトボール部の主将と同姓同名だったせいで、読み始めた瞬間から僕より背が高く運動神経も筋量も抜群の彼女を思い浮かべて読んでいたんだけど、話の途中で「どうもこの話の中の女子高生は美少女ってことになっているぞ?」と気づいてしまった。驚いて読み返したけれど、実はその本にはその女子高生が「かわいい」とも「美しい」とも「美少女」とも書かれてはいなくて、そこで僕は気づいた。「女子高生」という言葉が出てきたら、世の中では勝手に「美少女」だってことになるのだと。そう思って自分の通う学校の教室を見回してみると、「実際の」女子高生たちは、常に社会の「女子高生だって聞くからどんな美少女かと思って期待してたらたいしたことないじゃん」という失望に晒されて生きていることに、なんとなく気づいている風だ。それでも、僕はライトノベルにそこまで執着はなかったし、現実の女性に・・・特に同世代の女性に興味があった。同世代と書いたのにはわけがあって、本当はずっと好きな人がいて、それが同じ年齢の・・・何なら同じ教室にいるってことだ。それがちょうど高校一年生の春の事。クラスにようやく慣れたかな?ってぐらいの時の事。
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