光のもとでⅡ
「で? ほかに考えてる進路って何? 医療系とか?」
 だとしたら、成績を落とせない理由も頷けるというもの。
 しかし、翠葉は首を傾げて不思議そうな表情でこちらを見ている。
「どうして医療系?」
「や、ほら、入院してたりするから……」
「するから……?」
「ほらっ、近くで見たことのある職業って憧れたりするだろっ!?」
 この反応は何っ!? えっ? なんないっ!? 俺だけっ!?
 あまりにも単純すぎる発想だっただろうか。
 不安になって弓弦に視線を向けようとしたとき、翠葉が口を開いた。
「看護師さんとかお医者さんとかすごいな、とは思うけど、私には無理かな」
「なんで? 藤宮行くくらい頭いいなら十分選択肢にできるだろ? 藤宮大学って医学部もあるしさ」
「んー……根本的な部分でちょっと無理というか」
 根本的な部分って……?
「なんだよそれ」
「重く受け止めないでね……?」
「ん?」
「持病があって、たまに意識失っちゃったりするの。そんな状態で人様の命は預かれないでしょう?」
 これは想定外。
 重く受け取るなと言われても無理があるっていうか、俺、さっきから地雷踏んでばかりじゃね……?
 ごめんって思ったけれど、謝ることを拒否されている気がして、謝るに謝れないでいた。すると、
「もう……だから、重く受け止めないでって言ったのに」
 そうは言われても……。
 もし翠葉が俺と同じ立場だったらどう思うんだよ――と言いたい気分。
 でも、さっきから怯えさせたり泣かせたりしてるから、ちょっと躊躇する。と、
「あ、だからバイタルがわかるようになっているんですか?」
 弓弦のカラッとした問いかけに、翠葉はコクリと頷いた。
「失神というと、脳……? それとも――」
「循環器系です」
「心臓? となると、不整脈か何か?」
「不整脈もなのですが、自律神経の働きが悪いみたいで……」
「それは大変ですね……」
「いえ、お医者様に言われたことさえ守っていれば、生活は普通にできるので」
 俺にはまるで馴染みのない会話をふたりは淡々と続ける。俺は会話に混じることもできず、じっとその会話を聞いていた。
 循環器で不整脈って言ったら心臓に問題があることくらいは俺にもわかる。そして、「生活は普通にできる」ってことは、激しい運動はできないのかもしれない。
 もう少し詳しく知りたい気はするけれど、また地雷踏むのは避けたいし……。
 悶々としていると、
「倉敷く……さん? 先輩……?」
 翠葉は首を傾げながら口にする。
「慧でいい」
「でも年上だし……」
「苗字はやなんだ」
「じゃ、慧くん……」
 普段「くん」付けで呼ばれることが少ないだけに、なんだかくすぐったい。
 思わず照れ隠しが必要になるほどに。
「呼び捨てでいいのに」
「それはさすがに抵抗があるので……」
 それじゃ、仕方がない。
 ひとまず、苗字で呼ばれなければなんでもいいや。
 翠葉はおずおずとこちらに身体を向け、
「申し訳なく思うのなら、何か弾いて? お詫びに演奏を聴かせて?」
 え……? それでいいの? それで帳消しになんの?
 そんなのお安い御用でしょ。
「何がいいっ? 何、弾いてほしいっ?」
 露骨なまでの態度の変化がおかしかったのか、翠葉はクスリと笑みを零した。そして、
「あのコンクールの日に弾いた曲。私、聴けなかったから」
「っ……」
 あの日弾いたのは、モーツァルトのきらきら星変奏曲だ。
 響子に聴いてほしくて、響子に聴かせたくて、早く響子の病気が治りますように、と天に祈る気持ちで弾いた。
 けど、祈りなんて届かなかった。響子は元気になるどころか死んでしまった。
 あの日以来、この曲は弾いていない。でも、そろそろこういうのは精算すべきなのかも。そのきっかけが「今」だというなら受け入れるべきだ。
「いいよ」
 俺は答えてピアノへ向かった。
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