光のもとでⅡ
「まず確認なんだけど……俺、付き合う際に付き合う限りは結婚まで考えてるって話したと思う。それについてはどう思ってるの?」
 てっきり、俺は賛成だから「はい」という答えを得られたと思っていた。事実、返事をもらったときには「肯定の意味の返事なのか」という確認までしている。
 でも、そこまで口にしたら翠を追い詰めることになりそうだから、そこまでは言わない。
 じっと翠の目を見ていると、翠は恐る恐る視線を合わせてきた。
「あのときの会話はちゃんと覚えているのよ……? 結婚前提で、って言われたのも、肯定の意味での返事なのかって確認されたことも全部……。ただ、本当にあのときはお付き合いするしないが一大事で、それ以上のことまで深くは考えられなくて――」
 それっていうのは、肯定の意味での「はい」ではなかったということなのだろうか。
 胸がざわりと波立つ。
 すると、翠は慌てて言葉を継ぎ足した。
「でも、だからといって、結婚前提のお付き合いに反対なわけではないのっ。ちょっと思考が追いつかなかっただけで、結婚前提のお付き合いは……嬉しい……」
 言い終えるなり、シュウ、と湯気の出る音がしそうなほどに顔を赤らめる。
「じゃ、次。それはつまり口約束の婚約ってことになるわけだけど、それについては?」
「……そこには頭も気持ちも追いついてなくて、でも、さっき言われて頭では理解していて――」
 翠は言葉を詰まらせた。
 この場合、なんと合いの手を入れたらいいものか……。
 俺は少し考え、シンプルな言葉で尋ねることにした。
「婚約には反対?」
 翠ははじかれたように顔を上げ、
「違うよっ? そういうことじゃないのっ。……えぇと、結婚前提のお付き合いっていう関係性を言葉にすると、『口約束の婚約』になることを理解したばかりで、心が追いつかないっていうか……」
 すべてを拒絶されていないことに安堵する。
 それと同時、少し納得した。
 心が追いつかない――実感がない場合、どれだけ現実味を持たせようと会食だなんだと畳み掛けたところで、そんなものはなんの役にも立たないということが。
 結婚前提の交際が口約束の婚約、それは理解していても心が追いつかない場合、どうしたらいいものか……。
 ……そもそも、なんで連想ゲームみたいになってるんだ?
 ……あぁ、俺の話の持って行き方が悪かったのか……。
 なら、改めて結婚を申し込んだらどうなる……?
 俺は自分の膝を翠の膝につき合わせ、両手で翠の手を取る。
 不思議そうな目で俺を見る翠に、
「翠、俺が高校を卒業したら正式に婚約しよう」
 今日二度目のプロポーズだというのに、翠は身を揺らすほどに驚いて見せた。
 けれど、しっかりと視線は合っていて、涙が多めなのか若干潤んだ瞳がわずかに揺れている。
「大学を卒業するまで六年かかるけど、卒業と同時に入籍しよう」
 畳み掛けるように継ぎ足すと、まるでアルコールを摂取したかのように首から上を赤らめた。
「翠……?」
 目に見える反応だけでは判断ができず、言葉を欲する。と、
「ツカサ、あの――婚約って、結婚って――」
 何を言おうとしているのかさっぱり予測ができない。
 次なる言葉を待っていると、
「お父さんやお母さんに相談せずにお返事していいものなのかなっ?」
 誰がそんな質問を想像しようか……。
 若干呆れが混じる。けど、こういうのが翠なのだから仕方がない。
「婚約するのも結婚するのも翠本人なわけだけど、この際誰に相談してもらってもかまわない。電話、したければすれば?」
 翠は視線をずらし、真面目にスマホを眺め始めた。
 本当、手のかかる……。でも、それでも好きなのだから仕方がない。
 手を掴んでいては電話もかけられないだろう。そう思って手を離すと、絶妙のタイミングで携帯が鳴り出した。
 ディスプレイに表示されるは「藤宮秋斗」の文字。
 ……勘がいいっていうか、間が悪いっていうか、邪魔っていうか――
 ふと視線を逸らすと部屋の掛け時計が目に入った。
 あぁ、年が明けたのか……。
 きっとこれは新年の挨拶の電話なのだろう。
「出れば? たぶん新年の挨拶だろ」
 そんなふうに話すと、翠は少し困った顔で通話に応じた。
「秋斗さん……? ――明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」
 本人が目の前にいるわけでもないのに、翠は丁寧に頭を下げる。そして、
「あ……えと、ちょっと前に少し具合が悪くなってしまって、佐野くんの自室で休ませてもらってたんです。――はい。ツカサが適切な処置をしてくれたので、もう大丈夫です。――え? あ、はい」
 いったいなんの話をしているのか……。
 会話内容を気にしていると、
「あっ――秋斗さん、婚約とか結婚って、お父さんやお母さんに相談しなくてもいいものなんですかっ?」
「っ――」
 思わず頭を抱えたくなる。
 確かに、誰に相談してもらってもかまわないとは言ったけど、よりによって秋兄に相談ってどうなんだよ……。
「あ、突然ごめんなさいっ」
 さすがの秋兄も不意をつかれたことだろう。ライバルながらも同情をしてしまう。
 翠が黙って携帯に耳を傾けているところを見ると、何かしらの返答を得てはいるようだけれど、果たして秋兄がどんな助言をするのかは定かではない。
 落ち着かない思いで翠を見ていると、
「え……? ――はい……」
 翠の表情は徐々に歪んでいき、しまいには「そんなのやだっ」と叫んで携帯を放り、両手で耳を塞ぎ目を閉じて塞ぎこんでしまった。
 いったい何を言われた……?
 不思議に思いながら翠の携帯を手に取る。
「秋兄、今何を話した? 翠、泣きそうなんだけど」
 っていうか、すでに目に涙が滲んでいる。
『……そうだなぁ、起こり得る未来の話をしただけだよ』
「内容は?」
『司も翠葉ちゃんも進学すれば新しい人間関係ができる。そしたら、司よりも性格の合う人が現れて、その人を好きになるかもしれないし、それは司にも同じことが――』
 そこまで聞けば十分だった。
 俺は無言で通話を切り、翠に向き直る。
「翠」
 声をかけても翠はこちらを見ない。涙を流して蹲っていた。
 もう一度名前を呼ぶも、顔を上げようとはしない。
 なんとかして泣き止ませたくて、大丈夫だからと伝えたくて、俺はゆっくりと顔を近づけ軽く触れるだけのキスをした。
 すると、びっくり眼がこちらを向く。
 耳に当てていた両手を引き剥がし、翠の聴覚をフリーにする。
「秋兄の言うことなんて気にしなくていい」
「でも――」
 不安そうに涙を零す翠に、再度口付ける。
「不安に思わなくていいし泣かなくていい。俺はこの先どんな人間と会っても翠以外の女を好きになるつもりはない。なんなら一筆書こうか? もしくは、婚約なんて手ぬるいことを言わずに、俺が高校を卒業したら入籍する? すでに貯金はそれなりにあるし、ふたりで生活するのに困らない程度の収入はある」
 そこまで言うと、翠はパチパチと二度瞬きをした。
「どうする?」
「……まだ高校生なのに、苗字が変わるのはちょっと……」
 そこかよ……。
 妙な脱力感を覚え、胡坐をかく。そして、改めて翠の言い分を反芻させるとおかしくなってきて笑みが漏れた。それはしだいに肩を震わせるほどの笑いに発展する。
 そんな俺を、翠はきょとんとした顔でじっと見ていた。
「本当に、秋兄に言われたことなんか気にしなくていい。たとえ話の合う女子が現れたとしても、それが何? 話が合うくらいで好きになったりしない。だって、俺と翠は話が合うから、性格が合うから付き合ってるわけじゃないだろ?」
 どうしても惹かれるから――
 面倒なやつ、手のかかる人間と思っても、どうしても惹かれるから。だから一緒にいる。それはたぶん、この先も変わらない。
 翠がどうかはわからないけど、自分の気持ちが変わらないことには自信があるし、何年経っても翠に執着する自分だけは想像ができる。だからこそ、「婚約」や「結婚」といったもので縛りたくなるわけで……。
 そういうの、わかってもらえないものだろうか。
 俺はもう一度翠の手を取ると、
「翠……愛してる。婚約しよう」
 翠は涙を溜めた目で、唇を震わせた。
「まだ何かあるなら全部聞く」
 辛抱強く翠の言葉を待っていると、
「私、こんな身体だし、迷惑たくさんかけちゃうだろうし、赤ちゃんだって産めるかわからない……」
 そんなこと――
「それが何? 俺にとってはなんの問題もないんだけど」
「…………」
 そんな驚くことだろうか……。
「翠、よく聞いて。俺はあまり子どもは得意じゃない。むしろ苦手だと思う。それでも、翠との子どもなら欲しいとも思う。でも、俺が一番大切なのは翠で、翠の身体に負担をかけるようなことは望まない。だから、子どもができなくてもなんの問題もないし、生涯ふたりでも俺は幸せに暮らせると言い切れる。……それでも不安?」
 翠はボロボロと涙を零し、フルフルと首を左右に振った。
「翠、もう一度言う。婚約しよう」
 翠はようやく頷いた。
「今度は心、追いついてる?」
「うん……追いついてる」
「じゃ、誓いのキス」
「え――」
 少し口を開けた翠に、俺はありったけの想いをこめて口付けた。
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