光のもとでⅡ

好きな子の諦め方 Side 秋斗 01話

 年末を目前に仕事納めを迎えると、俺はコンシェルジュ以外の人間と会わない生活を送っていた。
 いつもはゲストルームの夕飯にお邪魔させてもらっているけど、翠葉ちゃんが冬休みに入った日から碧さんは幸倉へ戻り、翠葉ちゃんたちは幸倉とゲストルームを行き来する暮らしにシフトした。つまり、夕飯にお邪魔することがなくなったことが人と会わなくなった主な理由だろう。
 コンシェルジュにオーダーしたランチを食べ終え、ふと思う。誰かに会いたいな、と。
 それは初めて感じる感情だった。
 好きな子に会いたい気持ちとは別に、なんてことのない話をする相手を欲している自分に少し驚く。
 基本、一族の人間と会社の人間としか関わってこなかった人生に、御園生家が加わってからというもの、実に様々な変化が自分にもたらされた。これもきっとそのうちのひとつ。
 だからといって、思い浮かぶ顔は限られている。
 蔵元に唯、蒼樹くらいなものだ。
 それはいわば会社関係者とも言えるわけで、相変わらず交友関係の狭い自分に苦笑い。
「今日は大晦日か……」
 確か、蒼樹たちは兄妹でゲストルームの大掃除をすると言っていた。
 手伝いに行くことも考えたが、掃除のイロハを知らないどころか片づけが苦手な自分が加わったところでなんの助けにもならない気がする。
 だから、そんな考えは早々に断念。
 翠葉ちゃんは夜から学校の友達と年越し初詣だと言っていたから、彼女が出かけたあとなら、蒼樹と唯は呼び出しに応じてくれる気がする。
 そう、たとえば「忘年会」なんて口実で――

「友人として」を強調した忘年会のお誘いメールを一斉送信すると、各々から返信が届き、夕方になると蔵元がやってきた。
「なんです? 突然忘年会だなんて……。唯と三人でたまに飲みに行くことがあっても忘年会なんてしたことありませんでしたよね?」
 蔵元はさも胡散臭そうな目で見てくる。でも、来てくれた。それが嬉しくて、俺の表情筋は勝手に緩む。
「いやさ、俺会社に行かないと人と会うことなくってさ。ちょっと人恋しくなってました」
 正直に話すと、いつも冷静な蔵元は目を見開き驚きの形相を見せた。
「そこまで驚く?」
「驚くでしょう……。あなた、これまでどんな付き合いしてきたか自覚あります?」
「あ~……それね、ある。うん、あります。ごめんなさい」
 ペコリと頭を下げると、
「あーっ、もうやめてください、そーいうのっ!」
 そう言う割に、下げた頭の後頭部を力加減なしに叩(はた)かれた。
 うかがうように顔を上げると、
「うまい酒、用意してあるんでしょうね?」
 そんな言葉に笑みが漏れる。
「あるある! 昼過ぎにホテル行って仕入れてきた」
「そこで酒屋へ行かずにホテルを選択するところが秋斗様ですよね……」
「だって、せっかくみんなを呼びつけるんだから、うまい酒飲ませてあげたいじゃん」
 そんな話をしているところにコンシェルジュがオードブルを持ってやってきた。
 半分はテーブルに並べられ、もう半分は蒼樹たちが来たときに新しく出せるようにと冷蔵庫へ入れていってくれた。

 グラスに酒を注ぎながら、
「そういや、呼び出しておいてなんだけど、実家には帰らなくてよかったの?」
「一人暮らしをしているとはいえ、実家まで車で十五分の距離ですからね。月に一度は顔を出していますし、年末だからと言って顔を出す必要はありません。さすがに年始には挨拶がてら顔を出す予定ではありますが」
「ふーん」
「秋斗様だって同じでしょう? 年末に帰ることはないけど、年始は会長本宅へ行かれるのでしょう?」
「ま、そんなとこ。面倒だなぁ、とは思うんだけど、じーさんももう年だからね。あのじーさんが早々にくたばるとは思っちゃいないけど、やっぱ色々と心配ではあるし」
「それが道理なのは理解しているのですが、やはり、親や祖父母が年老いるのはいやなものですね」
 そんな何気ない話をできたのは最初の三十分ほど。蔵元とふたりになると仕事の話になってしまう傾向にあった。
 俺が社会に出てからずっと仕事上での付き合いだったのだから、それも仕方がないというもの。そこで、何か打開策はないものかと考え、雅を引っ張り込むことを思いつく。
「雅に連絡してみよっか」
「は? 今七時ですよ!? あっちが何時だと思ってるんですか」
「あー……朝の五時?」
「迷惑にもほどがあるでしょうがっ」
「でも、前に聞いた話だと、雅は朝五時前には起きてるって話だし……大丈夫じゃない?」
「なんだってそんな早起きなんですか……」
「お世話になっている家の犬の散歩を毎朝一時間するのが日課らしい」
「それじゃ、朝はお忙しいのでは?」
「ひとまず連絡入れてみようよ。無理なら無理でいいしさ」
 そんなノリでネットから連絡すると、時間かからずに通信はつながった。
 パソコンのディスプレイに映った雅は、仕事で会うときとは違う様相だった。
 ナチュラルメイクに薄紫色のハイネックという、割とカジュアルな格好。
『こんな朝早くに何事ですか? すでに年内業務は終了していますよね? 何か火急の案件でも? ご存知かとは思いますが、こっちの人間はこんな時期に仕事なんてしませんから、動いてほしいと言われても無理ですよ?』
 口を開くなりここまで言われて俺と蔵元は若干面食らっていた。
「いや、忘年会をですね……」
『はい? 忘年会? ふざけてるんですか? こっちはまだ朝の五時ですよっ!?』
「ほら……だから言ったじゃないですか」
 と蔵元はため息を漏らし、まるで取り繕うようにディスプレイ前へ移動した。
「申し訳ございません……。一応連絡を入れる前にやめるようお伝えしたのですが……」
『えっ!? 蔵元社長っ!?』
「はい、蔵元です。私も数時間前に呼び出された口でして……」
 雅はしばし無言になり、
『あの……何がどうして急に忘年会だなんて』
「私も同様のことをおうかがいしたのですが、人恋しいとかふざけたことおっしゃいまして」
『まさか、そんなことを秋斗さんが言うわけ――……あるんですね?』
「えぇ、そうなんですよ。奇妙でしょう?」
『奇妙ですけど、秋斗さんが変わっていく様は日本にいるときから見てましたから、こんな日が来てもおかしくはないのかな、と思い直しました』
「雅さんは順応力がお高いですね」
『そんなことはないですけど……』
 俺を放置してふたりは会話を進める。と、大型犬が割り込んだ。
『きゃっ、ランディっ!? サラっ!? ステイ、ステイっっっ! わかったってば、お散歩よね? 行くっ、行くからっっっ!』
 あっという間に雅は押し倒されフレームアウトした。
『あのっ、この子たちのお散歩に行かなくちゃいけないので、いったん離席します。帰宅後はこれといった予定もないので、そのとき忘年会に参加させていただいてもよろしいでしょうか?』
「もちろんです」
『では、いったん失礼します』
 そう言うと、通信が途切れた。
「雅、向こうでうまくやってるみたいだな」
「えぇ、動物は人を見ると言いますし、いつも毅然としていらっしゃいますが、ああいう姿を見ると年相応でかわいらしいですね」
「それ、雅に直接言ってあげたら喜ぶと思うよ?」
「は……? こんなことでなぜ喜ぶんですか?」
「……さあね」
 たぶん、雅は蔵元に惹かれている。でも、色恋沙汰にとことん疎いこの男はそんな気持ちに気づきもしない。
 仕事で何かあると蔵元をニューヨークへ差し向けてはいるが、おそらくこのふたりのことだから仕事の話しかしないのだろう。
「雅も厄介な恋愛になりそうだな」
「は? 今何かおっしゃいましたか?」
「いや、こっちの話」
 自分の恋愛もうまくいっていないのに、人様の心配をできる状況でもなかった。それに、雅は心理学のプロだ。その気になれば――
 そこまで考えて頭(かぶり)を振る。
 雅はとても優秀だが、自分のことには不器用なタイプだった……。

 九時を回ると唯と蒼樹がやってきた。
「あれ? 来るの十時過ぎとか言ってなかった?」
「あー、それね。リィたちがマンションを出るのは十時って話で、それまで仮眠したら? って勧めたんですけど、今日から三日間はピアノに触る時間取れないからって、マンション出るまでピアノの練習してくるって早々に出てっちゃったんですよ」
 唯の説明になるほど、と思う。
 なんとなしに彼女のバイタルに目をやると、いつもよりも血圧が高く、脈拍が妙に穏やかな気がした。
 俺の視線に気づいた面々が、次々とディスプレイを覗き込む。と、
「これは寝ていらっしゃるのでは?」
 蔵元の言葉にそれぞれが苦笑いで頷く。
「あの部屋の室温設定は二十度だし、ソファはあるけど上にかけるものはなくない? ブランケットくらい持ってったほうがいいんじゃ……」
 俺が席を立とうとしたら、
「それならたぶん大丈夫」
 唯に止められた。
「なんで?」と訊く前に回答を与えられる。
「九時には司っちが来るって言ってたんで、起こさずに寝かせてるなら、彼が何もかけないわけがないでしょ?」
 唯の言葉に「うんうん」と頷く蒼樹も、
「司のことだから、おそらくは自分が着てきたコートあたりをかけてますよ」
 そんな想像は容易くて、俺は自分の出る幕はないな、と若干落胆気味にソファへ腰を下ろした。
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