涼子さんの恋事情
最終話

 初めて上がる白川家ながら涼子は全く緊張しない。噂とは違い、とてもこじんまりとした純和風の邸宅となっている。中学生になったばかりの麻衣も緊張していないものの、心ここにあらずと言った感じで涼子の後をついて行く。
 静かに眠る達也の顔を見てショックを受けるが、礼にのっとり焼香を済ます。一方、麻衣は達也の顔を見た途端、我慢出来ずその場で泣き崩れてしまう。
(ダメだ。私がしっかりしなきゃ……)
 立ち上がらせ控室に入ると、麻衣は涼子の胸の中で大声で泣きじゃくる。麻衣が代わりに泣いてくれているせいか、現実として受け止められないのか、涼子は心がじんじんと痛むばかりで涙が全く出ない――――


――二日前、達也との未来を歩むべく、会社に辞表を提出しようと決意していたその朝。達也の携帯電話から着信が入る。明後日が手術ということを知っていた涼子は、達也が怖くなって泣きついてきたのだとほくそ笑む。
「もしもし、達也君? どうしたのこんな朝早くから?」
「もしもし、はじめまして。達也の姉の白川亜美(しらかわあみ)と申します」
「あっ、すいません。佐伯商事の小早川涼子と申します」
「こちらこそ、達也の携帯電話からで誤解させたみたいで申し訳ありません。小早川さんのことは弟からよく聞いてました」
「そうですか。ところで何かあったんですか?」
 自身で聞いておいて嫌な予感しかしない。
(早朝でこんな連絡方法を取るなんて普通じゃない……)
「落ち着いて聞いて下さいね。容体が急変して達也が先程、亡くなりました。最後まで涼子さんに会いたいと言いながら。達也は本当に貴女のことを愛していたんでしょう。最後の最後まで貴女のことを想う言葉ばかりを並べておりました」
 亜美の言葉が遠くに聞こえ転倒しそうになるも、涼子はなんとか踏み止まる。
「葬儀等は身内だけにと親族で決めておりましたが、私を含め看取った全ての者が小早川さんの見送りを望んでおります。もしご都合が合えば、最後に弟に会って頂けませんでしょうか。それが弟の最後の望みだったので」――――


――現在、泣き疲れ寝てしまった麻衣に亜美が優しく毛布をかける。涼子は頭を下げて礼を言うが、亜美は逆に恐縮しつつ話を切り出す。
「本日はお越し頂きありがとうございました。弟もきっと喜んでいます」
「いえ、そんな。こんな娘を見て達也さんは心配して、気がきでないと思います。きっとオロオロしています」
「涼子さん、本当に弟のことを理解してましたのね。幸せ者ですよ、達也は」
 亜美はそういうと目を閉じて笑顔を見せる。涼子はずっと心に思っていた疑問を亜美にぶつける。
「一つ、聞いても宜しいですか?」
「はい」
「佐伯商事に入社したときから、達也さんは既にご病気だったのではありませんか?」
「ええ、涼子さんのおっしゃる通り。死ぬまでに一度でいいからサラリーマンしたいって、変な弟でしょ? 普通はサラリーマンなんてなりたくてなるものじゃないのに。あ、これは失言でした。キャリアウーマンの涼子さんを目の前にして」
 涼子の脳裏には入社当時『サラリーマンを辞めるくらいなら死んだ方がマシ』と言われたシーンがよみがえり、その言葉の裏にあった真の気持ちを理解する。
「いえ、私も小さな頃はケーキ屋さんやパン屋さんに憧れてましたし、サラリーマンになるなんて思ってもみませんでした。でも、なんでまたそこまでサラリーマンにこだわっていたんでしょう?」
「笑わないで下さいね?」
「はい」
「漫画でサラリーマン金太郎っていう作品があって、その主人公に憧れてたの。バカでしょ?」
 言い出しっぺの亜美が先に笑い、つられて涼子も笑ってしまう。
「本人は正反対の政治家の息子なのに、昔からサラリーマンになるとバカみたいにはしゃいでた。だから、半年でも夢が叶い涼子さんの元でサラリーマン出来て、弟は本当に幸せだったと思います。涼子さんみたいな美人上司とちゃっかり恋仲にもなってますし」
 亜美は嬉しそうに語り続け、お互い達也の思い出話に花が咲く。

 
 火葬場に着くと親族から順番に最後の別れを行う。亜美の後に半泣きの麻衣が花を捧げ、最後に涼子も花を捧げる。穏やかに眠る達也の顔をしっかり目に焼き付け棺から離れる。火が入り棺の焼ける音が聞こえてくると、涼子の脳裏には達也との思い出が流れてくる。
(初めて会ったときは、ゆとり世代の足手まといが来たって思った。案の定ミスしたときは辞表作戦なんて考えた。麻衣のことが知られ、クリスマスイヴには告白された。お正月は初詣に行って、やり込めて凹ませたっけ。新幹線ホームで抱きしめキスされて、無理矢理新幹線に乗せられた。考えると達也君とはたくさんの思い出で溢れてる。そして、同じ日に私たちは結ばれた……)
『ずっと側にいる。一緒だよ』
 ベッドで囁かれた言葉が頭で思い出された瞬間、涼子の瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。そして、その身体は自然と達也のもとへと向かう。
「達也君……、達也君、達也君! いやー!」
 達也の名前を叫びながら火葬炉に近づこうとする涼子を亜美は驚きながら必死に止める。
「涼子さん! ダメよ!」
「達也君! 私を一人にしないで! 約束したじゃない! ずっと一緒だって、ずっと側にいるって!」
 泣きながら達也の名前を叫ぶ姿に麻衣も心底驚いている。普段冷静沈着で人前では涙すら見せない涼子が人目を憚らず泣きじゃくっているのだ。
「ママ……」
 床にしゃがみ込む涼子の正面に来ると、麻衣は涼子を抱きしめる。
「辛いよね、寂しいよね、私も同じだよ。だから私と一緒にたくさん泣こう……」
「麻衣、麻衣……」
 親族以上に泣く二人を見て、ずっと冷静さを保っていた亜美ももらい泣きする。火葬炉の前は絶え間無く流れ落ちる想いの涙で優しく包まれていた――――


――五年後、高校三年になり進路の事や勉強に追われるはずの麻衣だが、やんちゃな涼也(りょうや)の面倒に追われ、女子高生らしい生活が全く送れていない。
「ママ! 涼也がまた皿割ったー」
「ええー、お姉ちゃんにパスしただけじゃん。取れないお姉ちゃんが悪い!」
「パス!? だいたいね、皿は投げて渡すもんじゃないの。アンタの頭はマラカスか! 一度言ったことは覚えろ」
 朝一から喧嘩する二人に辟易しながら涼子は通勤前の着替えを済ます。
「まあまあ、皿なんてまた買えばいいじゃない。麻衣はすぐに怒るんだから。ねぇ、涼也~」
「ちょっとママ、いつも言ってるけど涼也に甘すぎだから。そんなことじゃ将来マザコン男になるよ?」
「マザコン? 最高じゃない。涼也はずっとママの側にいるのよ。ねぇ、涼也~」
「ダメだこりゃ……、もう私、学校行くわ。それと、割ったのはママお気に入りのワイルドストロベリーだから。行ってきまーす」
 小走りで玄関に向かう麻衣を見つつ、ワイルドストロベリーという単語が頭に残りテーブルに目をやる。割れたウェッジウッドの皿を見て涼子から笑顔が消えた。
「涼也ー!」
 雷が涼也に落ち泣き声が聞こえる中、麻衣は自宅を後にする。
 
 よく晴れた初夏の通学路を麻衣は元気よく歩く。道の反対側には、小学生の女の子とその父親と思われる親子が仲良く手を繋いで歩いている。その光景を見て麻衣は父親の事を思い出す。
 一緒に暮らしたことはないが麻衣は父親が二人いると思っている。一人は血の繋がった父親。ちょっと軽薄で言葉遣いは悪いけど本当は優しい父親。もう一人は母親を愛し、涼也を残して逝った父親。少し頼りないけどカッコよく、お兄さん的だった父親。
 母親も二人いる。一人は生んでくれた母親。一度会っただけで早く逝ってしまったけど、離れていてもずっと幸せを願ってくれていた優しい母親。もう一人はずっと側にいて育ててくれた母親。仕事の鬼で自分にも他人にも厳しい、頑固で不器用な母。最近は息子にデレデレして丸くなった気がする。
 麻衣にとってどちらの父親も母親も大事な家族であり、これからも尊敬し愛すべき存在だ。三年生になり進路についていろいろと考えることもあるが、将来の夢を聞かれたら麻衣はきっとこう答えるだろう。
「母のようなスーパーキャリアウーマンです!」


(了)
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