いろはにほへと
「行って来ます。」




「行ってらっしゃい」




鞄を持って居間を通り過ぎ、靴を履いて玄関で挨拶すると母が見送ってくれた。


そこに。



「あ、僕も行きます。」




眼鏡を掛けた父が、ゆったりとした動作で玄関にやってきた。



父は国家公務員で、私とほぼ同じくらいに家を出る。



テレビもエアコンもパソコンも要らない、という父のことを、厳格なんだと思う人も居るみたいだけれど、父は温厚そのものだった。



『人が生きるのに、必要なものは、そんなに多くないでしょう。』




父はこの考えの下で、家に必要なものと、そうではないものを決めていっているようだったが、その、父の口癖のような言葉が、私は結構気に入っていて、実際その通りだとも思う。





「明日から夏休みですね―」




駅までの道のりを二人並んで歩いていると、父が言ったので、私は頷いた。




「今年も、姫子さんのお家で過ごすんですか?」




「はい。明日から行ってきます。」




傍目から見れば、親子の会話には見えないかもしれないが、父は家庭の中で敬語を常に使ってきた。


その影響があってか、私は幼い頃からずっと父と同じ口調だったと聞いている。


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