帰ってきたライオン

「美桜さん!!!!!」

「……えー……なにその勢い。なんか嫌な予感がする」

「えーじゃないですよえーじゃ。そして予感なんかじゃないですよ。もうかなりの噂なんですけど」

「噂?」

噂とはなんだ? 私が冥王星に行きたいなぞ考えたことか? はたまた金星の件か?

噂になるようなことは何一つした覚えはない。そしてこんなに鼻の穴を膨らませて何かを言われる覚えなど、無いぞ。

上田さんに至っては昼休みに社食で例のお目当ての人を探しに行っている。

これが新年になってからの彼女の抱負だった。なので、午前中の業務は午前中に片付けるマッハな勢いでばりばり仕事をする。

なんだ、やればできるんじゃんと思ったり。
それもすべては例の彼に会うためらしいけど。名前も分からない彼。顔を見ただけで恋に落ちるってもうそれ、今日日の中学生でもないわ。

と思うけど、やはり口に出しては言わない。

「ぶつかったでしょ! ぶつかりましたよね?」

「ぶつかった?」

「エレベーターで!」

「……ああ」

それか。
そんなことで噂になってるのか。

はっ。
まさかのあれか、私の尻はすごい力とか? 尻力半端ねー、上田さんの言葉を借りるなら『ぱねー』とかか。

すげー尻力の持ち主現る。男性を尻一つで突き飛ばした。怪尻力女ここに見参! とか、そんなことがすでに広まっているのか。

ありえん。それはありえん。断じて拒否する。却下する。

「また明後日な方向行ってますよ」

「行ってる?」

「行ってる」

「違うの?」

「見当違いも甚だしい」

「じゃ何?」

「だから! 美桜さんがぶつかった人って、例の私が会いたがっているあの彼なんですよ」

「……それ、まじで言ってる?」

「嘘言ってどうなるんですか。女子社員の中ですごい噂ですよ。でもそのおかげで美桜さんは彼の彼女候補から外れたので女子からの対応は温かいかも。だってそうでしょ、尻で吹っ飛ばされた女、彼女にしたいなんて思わないですよね。そんなことよりなんでその用事、私に任せてくれなかったんですか! いつもいらない用事で使うくせにー」

「いらない用事って言うんじゃないよ」

「ほんと、もう、で、どこの部署でした?」

「や、だから……知らない」

顔見てないよ。お尻で突き飛ばしただけだし。と、付け加えると、もういいですよ。自分で探します、営業部に行って来よう。

と、ぱたぱた走って行ってしまった。
まああれだ、まだあと15分休みは残ってるんだから好きにさせよう。

それにしても恐るべし女子網。
あなどれないなこれは。どこでどう話が回るか分からない。
ここはひとまずおとなしくしておかなければと肝に命じた。

私は目立つのが好きじゃない。内容はどうであれ人目にさらされるのは耐え難いと昔昔の子供のころから変わらず思っていることだから。

< 50 / 164 >

この作品をシェア

pagetop