あなたの子どもを抱く日まで

701号室

男から逃げるようにして部屋に戻ると、山積みになった段ボールが待ち構えていた。


なんなのよ、あの男。


胸がドキドキしている。


「あ!」


振り返り、カーテンのかかっていない窓から向かいにビルを見る。肉眼でも見える屋上に人影はなくなっていた。


あの男のせいで、人影の顔を見損ねた。青い制服が看護師なのか、医師なのか。できるだけ早いうちに確かめに行こうと考えていると、隣室から大きな笑い声が聞こえる。


壁に耳をつけると、はやりのお笑い番組らしき音声が聞こえてくる。


あんなすかした顔をしていても、やっぱり子供なのだと思う。実家を出て来たばかりの、母親が段ボール詰めをしてくれるような、そんな若者なのだろう。


目線はそんなに変わらなかったから、背は私よりもちょっと高いくらいなのだろう。都会の夜景を背景に見た端正な横顔と、華奢な指を思い出す。


「医者のストーカー」


彼はそう言って笑った。明日からの観察は、彼のいない時間を狙わなければいけない。ベランダは壁で隣が完全に見えないようになっているが、手すりに少し乗り出せば、隣のベランダは丸見えだ。


きっと、彼はタバコを吸いに出るたび、気になって覗くに違いない。


そこまで思って、自分の自意識の過剰さに気がつく。


「あんな若い男の子が、気持ち悪い双眼鏡女を気にかけるはずはないじゃないか」


隣から再び、低い笑い声が聞こえる。


ワンルームに住むということは、こんなにもあけすけなのだと思い知らされる。横浜の3LDKのマンションでは、上階からの子供の足音だけでもイライラとしていたというのに。


ここでは、なんのテレビ番組を見ているのかまで、壁に耳をつければ分かってしまう。彼と過ごしたあの小さなお城のように。


1階に気のいい大家さんが住むアパートの2階。8畳のワンルーム。あのときはそこが私と彼、2人だけの世界だった。

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