アマリリス
第1話

 深夜の病院には怪談がつきもので普段そのような見えざる者の存在を否定している者でさえ、その雰囲気にのまれると小さな物音にさえビクついてしまうのが性だ。神宮美玲(じんぐうみれい)の脳裏には小学生のキャンプファイアーで聞いた怪談がかすめ、屋上に上ることを躊躇わせる。冬の寒い時期とは言え幽霊はやっぱり怖い。
(改装中とは言え今の時代で、通話スペースを複数作ってない病院ってどうなん? 毎度毎度ホント面倒くさいわ~)
 病院の体制にぶつぶつ文句を言いながら階段を上りきり屋上への扉を開ける。重量感のある鉄製の白い扉を開け、コンクリートのタイルに足を踏み入れるとポケットから携帯電話を取り出す。子供の急病とは言え仕事を抜けたことには変わり無く、シフトを変わってくれた同僚に事の顛末とお詫びの連絡を入れるのは当然の行動と言える。
 発信履歴から田村八重(たむらやえ)を選択し、通話ボタンを押そうとした刹那、視線の先にスーツ姿の男性が目に入り美玲はドキリとした。真っ暗な夜空に屋上という環境ということもあり、紺のスーツは完全に保護色で直ぐには気付けない。
(ビックリした! まさかこんな時間に先客がいるなんて。って言うか人? まさか幽霊とかじゃないわよね?)
 携帯電話を握り締めながら恐る恐る近づくと、男性はフェンスの方向に歩き始めそこに足を掛ける。その光景に事態を察した美玲は咄嗟に身体が動く。
「ちょっと! 貴方何してるの!? 馬鹿なマネはやめなさい!」
 背後から抱きつく形で抱き締めると、力任せに男性をフェンスから引っぺがす。無理矢理後ろに引っ張られた男性は床に倒れ、驚いた表情で美玲を見つめる。年の頃は三十程度と見られ、色白でひ弱そうな雰囲気をしていた。男性はズボンの埃を払いつつ立ち上がり、美玲に向き合う。
「いきなり何するんだ!?」
「それはこっちの台詞よ。自殺しようとするなんて最低」
「自殺? 何言ってんだ? 僕はアレを見ようとしてたんだよ」
 そう言って指差す方向には、キラキラ青白く光るイルミネーションが見て取れる。
「先週から期間限定で、公園にクリスマスイルミネーションが施されてるんだ。僕はその写真を撮りにきたんだ」
 文句を言いながら男性は小さなデジカメを突き出し見せつける。その液晶画面には眼下に映る公園が見られ途端に顔を赤くする。
「ご、ごめんなさい。私てっきり自殺志願者かと……」
「まあ、こんな時間にフェンス上ってた僕も悪いか。こちらこそ困惑させたみたいで申し訳ないです」
 軽く会釈し、互いに視線が絡みあった瞬間、二人の時間が数秒止まる。周りの音や風景すら静止したような感覚が全身を襲い身を震わせる。
(この人、どこかで会った?)
 美玲がそう思った瞬間、男性が口を開く。
「あの、今お時間ありますか?」
「えっ? あ、ごめんなさい。そうだ、電話しなきゃいけなかった。ちょっと待って」
 慌てて通話ボタンを押すと男性から距離を取り、八重へと連絡をつける。由美香(ゆみか)の容態が安定したことや今後のシフトの件等、手短に済ませフェンスの方を向く。しかし、そこに男性の姿はなく美玲は呆然として立ち尽くしていた。

 翌日、休憩室で昼食を取っていると同僚の大久保佳代(おおくぼかよ)がやってくる。昼はスーパーでのレジ打ち、夜はビルの清掃と仕事を掛け持ちしており、土日もイベントの手伝い等をしていた。それも、入院している由美香にためであり美玲本人は全く苦痛とは感じていない。娘を守ることが自分の全てであり、それが自分の存在意義とも思っている。
「お疲れ~、神宮さん聞いたわよ。娘さん、大丈夫だった?」
「お疲れ、うん、大した事なかったわ。ありがとう」
「でも、女手一つで育てるのって大変でしょ? バイトの掛け持ちもしてるし」
「娘のためだもの、全然平気」
 おどけて切り返され佳代は肩をすくめる。
「そうそう、神宮さん。話は変わるけど、今度一緒にパーティーに行かない?」
「パーティー?」
 普段聞きなれない単語に美玲はすっとんきょうな声が出る。
「ごめんなさい、ビックリしたわ。パーティーってどんなパーティー?」
「出会いパーティーに決まってるじゃない。レッツいい男ゲットよ」
「いや~、私達アラフィフですけど?」
「何言ってんのよ。四十代こそが花盛りでしょ? 酸いも甘いも知った私達四十代が一番輝ける年齢。熟女ブームも来てるし」
「そうは言ってもね~」
 ノリノリの佳代をよそに美玲は過去がちらりと蘇る。五年前、まだ伴侶とされる相手が居た頃、美玲の顔には痣がよくできていた。普段は優しく穏やか、ご近所での評判も良い旦那は酒を飲むと別人になった。外面とは反対に、気にくわないことがあれば直ぐに手足が飛び、それが由美香にまで及び出した頃には出て行く覚悟は決まっていた。
 困難を極めた離婚協議も親権のみ主張した美玲の希望が通り養育費等は全て蹴った。暴力旦那の庇護の下で生きて行くことなどプライドが許さず、自分一人で立派に育ててみせるという気概がそうさせた。事実、今日まで由美香を育ててきており現在は入院中だがお見舞いを欠かしたこともない。

 佳代の誘いをやんわりと断り、夜のバイトの合間を抜け病院へと向かう。由美香には当然ながら、パート先の同僚にも弱音を吐くことなく日々をこなしているが、心身がボロボロなのは自身がよく弁えていた。昼間に誘ってくれたパーティーも全く興味がないわけでもなく、もし素敵な男性が居たら心身共に癒されたいと思う部分もある。
 ただ、過去に失敗した婚姻関係と過酷な労働環境、その全てを総合しても恋をする時間が自分にはないことも理解していた。
(何よりもう年だし、こんな私を真剣に愛してくれる人がいるとは思えない。バツ一子持ちで条件悪すぎだし。パーティー、か。今の私では現実離れしすぎて笑っちゃうわ)
 自身の身の上を察し、苦笑しながら美玲は車を病棟に近い駐車場に停める。次のバイトまであまり時間がないため、少しでも歩く距離は縮めたい。車を降り、いつものようにロビーを抜けると精算カウンターに立つ男性に目が止まる。その紺のスーツを着た男性は黒の長財布をズボンにしまいつつ、病院の外へ向かっている。その姿をじっと見つめていると、男性の方も視線に気がつき美玲を向く。視線が交わった瞬間、屋上のときと同じく二人は世界の時を止めた。

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