アマリリス
最終話

 一ヵ月後、由美香との関係は完全に修復し、だれが見ても仲の良い母娘となっていた。事情を知りながら美玲に反発していた理由は、澪の件にまつわる戸惑いや大輝が急に父親になるのではという焦りと混乱、その複合的要素で不安定になっていたようだ。
 思春期と慣れない学校生活が重なれば当然のことと言え、美玲は改めて頭を下げた。それに伴い大輝との交際は由美香も認め、大手を振って大輝に会う様にもなる。結婚についてはおいおいということで、現状は棚上げとした。形式的な婚姻関係よりも、三人の関係が良好であることの方が最優先であるとの判断だ。とは言っても、ずっと我慢してきた想いもありデートの回数はかなり多く、帰りが遅いときなどは由美香からバカップルと文句を言われている。
 大輝との関係は完全に男性優位で、普段サバサバしている美玲だが、彼の前では甘えており頭も上がらない。一回り近く年下でありながら大輝にはそれだけの器があり、身も心も全て預けることができ癒される日々を謳歌していた。
 今の関係を後押しした玲央とも変わらず仲が良く、大輝を交え食事に行く事もあった。大輝と玲央の初対面は予想通り衝撃的なものとなり、玲央から語られた前世の記憶を知ると納得していた。そして、改めて二人は親友となり熱い握手を交わした。

 春休みに入り、美玲と大輝は山へのピクニックを計画した。大輝としては当初、由美香との距離をちょっとでも近づけようという心積もりもあるったが、純粋にピクニックを楽しもうと切り替える。大人の浅はかな考えなど鋭い子供には通用しないと、考え直してのことだ。美玲もその考えには賛同し、三人でたくさん思い出を作ろうと奮発して新しい一眼レフのカメラまで用意した。
 春の山は気候としても最高で、林道の影を歩くと美味しい空気が肺の隅々まで行き渡る心地がする。入院していた期間もあり由美香はかなりバテバテだが、表情は明るくそれなりに楽しんでいるように見える。山道には様々や野草が生えており、綺麗な花々も見られる。美玲はその景色や色鮮やかな花を見るとシャッターを切り、ピクニックというよりカメラ撮影だと大輝に揶揄されていた。
 見晴らしの良い原っぱを見つけると、そこにレジャーシートを広げ今朝作ったばかりのサンドイッチに手を伸ばす。大輝はもちろん、由美香も笑顔が絶えず美玲はホッと胸を撫で下ろす。
(今に今仲良くなるとは思わないけど、いつか自然に家族って思える日がくれば嬉しい……)
 感慨深げに由美香を見つめていると何を勘違いしたのか、
「二人のお邪魔しちゃ悪いから散歩」
と言い、意味深な笑みを浮かべ森の方へと駆けて行く。あまり遠くに行かないように注意すると、元気な返事と共に手を振られる。
「全く、あの子ったら、変な気回して……」
「いいじゃないか、僕も美玲と二人っきりは嫌じゃないし」
「それはそうだけど……」
 納得いかない顔をする美玲の隣に来ると、肩を抱き身体を引き寄せる。いつもの流れで口付けを交わし見つめ合うと、二人同時に笑顔になる。
「僕は幸せ者だな。こんなに綺麗で可愛いパートナーが側にいる。お互いの考えや価値観、想いも感情も手に取るように分かる。だから自然に接することができる。こんな穏やかな気持ちになれるなんて、やっぱり前世からの運命なのかもな」
「うん、私はそれを信じてるし実感してる。七瀬さんが言っていることも真実だと思う。じゃないと、こんな出会いはなかった。初めて会ったときからこうなる予感がしてた」
「僕もそう思う。それにしても、綺麗で可愛いってところは否定しないんだな」
「ん、大輝さんの意地悪……」
「冗談だって」
 笑い合い寄り添うと、カメラに手を伸ばし今日撮った風景等を一緒に見る。中にはへばっている大輝の後ろ姿もありクレームをつけられる。野生の花々の写真も多数あり、真っ赤なアマリリスの写真が映ると手が止まる。
「これ、綺麗なアマリリスでしょ? 一目惚れして直ぐに撮っちゃった」
「ああ、確かに綺麗だな。これって七瀬さんが話してくれたレオだったりしてな」
「あはは、でも七瀬さん本人がレオだからね。まあ、レオの分身とか親戚とかそれなら有り得るかもね」
「どっちにしても今の僕らは花の声は聞こえないから確かめようがないよ」
「うん、ちょっと残念だけどね。それにしても由美香、遅いわね。ちょっと探して行くわ」
「僕も行くよ」
 二人で立ち上がると貴重品だけ携え、由美香が向かった森の方へと進む。しばらくは簡単に考えていた捜索だが、二十分近く見つからないと美玲も焦ってくる。獣道を小走りで駆けていると、後方で大輝が呼び止める。
「美玲! このストラップって由美香ちゃんのじゃ……」
 パンダのストラップを見て美玲の顔色がサッと変わる。
「どこにあったの!?」
「さっき通った小道の途中に。この辺は崖もあるから、早く探さないと」
「どうしよう、由美香に何かあったら私……」
「大丈夫だ。僕が絶対見つける!」
 大輝はそう言うとストラップを見つけた辺りから捜索を始める。動揺しながら美玲も同じように探し、辺りを見回す。しかし、由美香の姿は一向に見つからず、いたずらに時間だけが過ぎて行く。
(由美香! 一体どこに!? 由美香!)
 半泣きになりながら走っていると、道に盛り上がる木の根っこに足を取られ転倒してしまう。膝を強打ししゃがんだまま痛みに堪えていると、目の前に真っ赤なアマリリスが目に入る。それはここに来る途中、自分のカメラで撮ったアマリリスであり、見た瞬間、玲央と初めて会食したときの話が甦る。

 二カ月前、玲央の語る物語を聞いた後、美玲はふと疑問に思ったことを口にする。
「七瀬さんはレオの生まれ変わりで、記憶もあるんですよね?」
「はい」
「では、物語のようにお花と話せたりするんですか?」
「いえ、残念ながらそのような能力は。でも、気持ちは分かったりしますよ。元気とか元気がないとか」
「それくらいは私にも分かりますよ~」
 文句を言う美玲に玲央は続ける。
「そうですよね。その想いが深ければ、言葉だって通じると私は思います。純粋さや想いの強さ、心からの叫びとか。元アマリリスだった者は語るってヤツです」
 冗談めかして語る玲央を美玲は苦笑いで返した――――


――玲央の言葉が甦ると、美玲は目の前のアマリリスに向かって強く問い掛ける。
(アマリリスさん! どうか娘の由美香の場所を教えて下さい! お願いします! お願いします!)
 跪き両手を胸の前に組み、祈るように美玲は心で繰り返す。しかし、アマリリスからは言葉を発している様子はなく落胆に暮れる。
「どうして? どうして、こんなにも祈っているのに……」
 膝立ちで泣きながら呟いていると、隣に大輝が座り黙って同じように祈る。
「大輝さん……」
 その真剣な姿を見ると美玲もすぐさま倣う。
(アマリリスさん! お願いです! 由美香に居場所を教えて下さい!)
 美玲が強く心に祈った瞬間、頭の中でかすかな声が聞こえたような気がする。その小さな言葉を大きくするかのように美玲は強く祈る。すると、聞き取れなかった言語が脳内に響く。
『下だよ。女の子は下に走って行った。猪に追われてた』
 声を理解した瞬間、美玲と大輝は顔を見合わせる。
「今、声が……」
「うん、聞こえた。早く由美香ちゃんを探しに行こう!」
 大輝の掛け声で美玲はすぐさま立ち上がり下山への道を駆け下りる。途中の路傍に咲く花々もアマリリスに追随するかのように由美香の動向を囁いて行く。声の導きに従い駆けゴツゴツした岩が多数見られる川べりに出ると、一際大きな岩の上に座る由美香を見つける。
「由美香!」
「お母さん!」
 岩によじ登ると美玲はすかさず由美香を抱きしめる。急いで避難したためかその服には転んだような跡が見られる。
「由美香、大丈夫? 怪我はない?」
「うん、大丈夫。猪に追われて怖くてここに逃げてただけだから」
「良かった、本当に良かった……」
 安堵しながら由美香を抱きしめるその姿を、大輝も微笑ましく見守る。無事を確認した後、由美香を真ん中にし、三人で仲良く手を繋ぎ元来た道を歩く。その途中、すれ違うアマリリスが目に映ると美玲は笑顔を向けた。

 六月、小さなチャペルで知人だけに囲まれた結婚式を挙げる。職場の佳代はもちろんのこと、二人を取り持った玲央も惜しみない祝福を送る。由美香もこの婚姻には大賛成しており、なんの障害もなく幸せへの階段を上れた。大輝も気持ちは同じなようで、何があっても二人で手を取り支え合い生きて行こうと決意を語られる。
 そしてもう一人、二人の婚姻を後押しし祝福する者がいた。それは屈託のない笑顔を見せる由美香の手の平におり、今日も鮮やかな美しさを湛える。その美しくも凛とした様子に目をやると、美玲は幸せそうな表情で見つめる。
(ありがとう……)
 そう心で呟くと、真っ赤なアマリリスは微笑むかのように風に揺れ、その鮮やかな花弁でおじぎをした。



(了)
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