ビターチョコ
目を覚ますと、チャイムの音が聞こえた。
いつのチャイムの音なのか、何も分からなかった。

もう、5時限目すら終わって、放課後になっているかもしれない。
時間によっては、授業をサボったことになるため、時間割だけでも、確認しようと頭を起こした。

科目によっては、教科書だけを頼りに勉強すれば、何とか理解出来るかもしれない。

しかし、ズキズキと痛む頭に遮られる。

「起きたくない……」

腰に医学書3冊分の何かでも乗せられているのかと思うほど、腰を動かすことさえ、ままならなかった。

「伊藤先生?」

「先生なら出張だよ?」

そう言いながら、私がいる方向に首をひねったのは、他でもない、美冬だった。

私は、彼女の方を見まいと目を逸らしていた。

だが、彼女は容赦なく、私が身体を横たえているベッドに歩み寄り、電子体温計を眼前に突き付けた。
そこには、37.2と表示があった。

「んも。
熱出すまで無理するとか。
バカは風邪ひかないっていうけどね。

あ、理名はバカじゃないか。
お勉強に関しては」

「って、こんな話をしにきたんじゃないの。
話半分でも全然構わないから、聞いて? 

『脳の処理が追いつけないのかも。
フリーズ、あるいは、ヒューズに近いわね。

お昼の時間だけで、いろいろなことがありすぎたから。

それが、発熱って形で現れている可能性も、あるとは思う』
 
理名の今の熱については、深月がこう言ってたからさ。

私も彼女にいろいろ言われて、ピンときた。

『その一要因に、美冬。
貴女が理名にぶつけた言葉も、入ってるのよ。

……理名は、初対面とか、それに近い人達に敬語で話す。
それに対する相手の反応で、距離感を見極めるの。

それは、彼女なりの考え方であり、正義でもあるんじゃないかしら。

もしくは、そうやって、今まで相手との距離をわざと空けてきた、とかね? 
彼女なりのガード。

それを、「そんな考えではダメ」って頭ごなしに否定する権利が、理名の身内ではない、親友の美冬にあるの?

そう考えたら、頭のいい美冬なら分かるよね?
食堂でのあれは、言い過ぎだった、って』

……この考え方、合ってる?
理名。
これを、聞きたかったの」

深月の口調のモノマネをしつつ語る美冬の話に耳を傾けながら、目を何度も見開いた。

「深月、そこまで、見抜いてたんだ。

初対面から、あまり時間は経ってないのに、分かってたなんて……ね。

勘が良すぎるったら、ありゃしない」

この場に彼女がいたらどう言うだろう。

「家庭環境上、こういうの、得意だから」
とか言うかな。

その絵面が容易に想像出来て、吹き出した。

「あの後、美冬だけじゃない。

美冬の話に上がった華恋までも、傷つけてしまったのかもしれない、って、自分を責めたりもした。

でも、今の話を聞いてて思ったの。

もう、拓実くんとは「初対面」ではないから敬語じゃなくて、いいんだって。

くだけた表現とか、文字を使うのってこそばゆくて、くすぐったくって。
逃げてたの。

美冬とか華恋になら大丈夫なのにね。
逃げてちゃ、ダメなのにね。

美冬の恋でも、華恋の恋でもない。
私の恋なんだから。

私、怖かったのかもしれない。
本当の意味で、親友と『腹を割って何でも話せる関係になること。

その分、失ったときが怖いじゃない? 

承認欲求がなくなって、自尊心すらもなくなっちゃう気がしてたんだけど。

悪い方向に考えすぎだよね。

母が早くに……亡くなったから、余計にこう思うのかもしれないけど」

それは、私が初めて家族以外の人に話す本音だった。

「理名……」

「ごめん。
あんま、女同士の友情に慣れてないんだ。

中学校の頃は、ずっと一匹狼でいたし。
何度もいじめにあって、嫌気がさしたの。

それでも授業だけは受けたくて、保健室登校もしていたたし。
保健室は、天国だったね。

好きなだけ医学書読めるし。

……こんなんだから、ちょっと怖くてさ。

入学式の日も、何度も、入学式なんて出ないで帰ろうか迷ったくらいだったけど、それでも。

今は、ちゃんと行って良かったって、心から思うよ。

話しかけてもらったの、椎菜と麗眞くんだったし。
こんな細かいところまで気が付く子、今時いるんだって、ビックリしたのは今でも記憶に新しいから。

麗眞くんがいて、椎菜も深月も碧も美冬も華恋もいて。
恵まれてるなって、この高校に来て初めて思った」

「も、わかったから。
私も華恋も。

ちょっと、世話焼きすぎたかなって、ずっと思ってたの。

いいから、寝てな?

理名、まだ熱あるんだし。
安心して。

今5時間目の現代文の授業だけど、皆、ノート貸してくれるって」

現代文……。
この世で一番苦手な教科だ。
現代文だけじゃなくて、古文も漢文も嫌い。
苦手というより、むしろ嫌いなのだ。

アナウンサー志望らしい彼女なら、目の色を変えそうな科目なのに、なぜ、彼女はここにいるんだろう。

そんなことを考えていると、自然とまぶたが重くなった。
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