ビターチョコ

復帰

朝の眩しい光と、小鳥のさえずりで、自然に目が覚めた。

6月にもなると、朝から照りつける日差しが暑く感じられた。

「入院生活も、これで終わりよ。
ちゃんと食べなさいね」

凛先生が、最後の病院食を持って来てくれた。

今日から、学校に復帰することが出来る。
2ヶ月間、長かった。

私が意識不明の4日間の間、肺挫傷を起こしていたことを、凛先生から初めて聞いた。

局所麻酔を行い、肋骨と肋骨の間に数センチの穴を開け、胸腔内に、ドレーンを挿入したという。

思い返してみると、チューブが繋がれていた気がする。

正しくは、私が覚えていないだけだった。

拓実くんが息を切らせて来てくれた日に、そんなことを、聞いたような記憶があった。

「鞠子さんが遺してくれた宝物だもの。
みすみす死なせないわ」

「ありがとうございました」

夏物の薄い素材になった制服に袖を通した。

凛先生に頭を下げる。
無事に退院できてよかったと言い残して、凛先生は病室を出て行った。

病院食をお腹に入れ終わると、見慣れたスクールバッグを肩に抱えて病院を出る。

病院を出ると、見慣れない車が停まっていた。
正しくは、車だけは見覚えがあった。

麗眞くんがいつも乗っているリムジンだ。

窓から顔を出したのは、相沢さんと、麗眞くんのお父さんだった。

その車中で、とんでもないことを言われた。

「君は、いい人を選んだね。
人を見る目があるんだ」

「はぁ……」

あまりに、唐突にその台詞を言われた。
何が何だか分からない。

そう返すしかなかった。

「実はね、君の好きな人……
桐原拓実くん、だっけ?

彼に、ウチの学園に編入しないかって話をしたことがあってね」

その言葉で、私は拓実くんと同じ学園生活を妄想した。
しかし、次に麗眞くんのお父さんが放った言葉は、意外なものだった。

「断られたよ。
『自分の中の未熟な部分はまだまだあります。
それがどこなのか把握して、未熟な感情をコントロールできるようにならないと、安心して彼女の側にいられない。

そうなるまで、彼女に近い位置にいるのは、意図的に避けたいのです。

お気持ちは、もちろん嬉しいですけど』
ってね。

大人だな、彼は。
ご両親の躾がよかったんだな。

まぁ、恋人の椎菜ちゃんに関しては、程度が過ぎるくらい過保護なんだ、麗眞も。
拓実くんを見習ってほしいくらいなんだがな」

「でも、微笑ましいです。
椎菜と麗眞くん。

いつか、私も拓実くんとあんな関係になりたいって、
思わされます」

「そうか?
……あれは、主に麗眞が遠慮ってものを知らないからそうなるんだ。

見習わなくていいところは真似しない方がいいよ。

しょっちゅう椎菜ちゃんを屋敷に連れ込んでイチャついているし。
そのうち、彼女を妊娠させないか不安だ。

そうなる前に、麗眞を海外に行かせて、距離を置かせたほうがいい気もしている。

いや、それを勘付いて妊娠させる可能性もあるな。
それはおいおい考えよう」

麗眞くんのお父さんの独り言を聞いていると、とっくに学園に到着していた。

麗眞くんのお父さんは、降りないのだろうか。そう思ったが、あえて言わないことにした。

「さぁ、頑張って行ってらっしゃい。
君なら大丈夫だ。
『正しい、明瞭な知識を身につけて、常に賢い他人への配慮が出来る理知的な人材であれ』

それがウチの学園の理念だけれど、君に足りないのは明瞭な知識のみだから。
医療以外の分野の、ね。

あ、そうそう。
教室に行く前に、保健室に行ってくれないか。

君に新しい担任の先生を紹介したいからね。
もう、保健室で待っているはずだ」

「はい、わかりました。
送っていただき、ありがとうございます。
相沢さん、麗眞くんに、よろしくお伝えください」

麗眞くんのお父さんと相沢さんに礼をして、保健室に向かった。

「失礼します」

引き戸を引いて、保健室に入る。

同時に、2人の女性の先生と目が合った。
1人は、言うまでもなく養護教諭の伊藤先生だ。

もう1人は、伊藤先生よりは短いが、肩まである髪を後ろで1つに結んでいる。

化粧をわざと薄くしているのか、遠目では化粧をしているのか分からなかった。

ガラス玉のような丸い目をしていて、顔つきは細く、少し弱々しくも見える。
しかし、唇は紅を引かなくてもよいくらい血色がよかった。

身長は私より1、2センチ高いくらい。
薄いパステルブルーのブラウスにグレーのフレアスカートが、長い足をより際立たせていた。

「岩崎 理名ちゃん?
初めまして。
新しく、1年4組の担任になりました、三上 夏南(みかみ かな)です。
よろしくね?」

名前に相応しい、夏の日差しみたいな笑顔に、私もつられて微笑んだ。

「これから、よろしくお願いします」

ぺこりと一礼して、保健室を出て行こうとしたのを、伊藤先生に止められた。

「その椅子に座っていてくれる?」

言われるがままに座る。

そこには、きちんと教科別に並べて、プリントやノートのコピーが置いてあった。

美冬や深月、華恋、椎菜、麗眞くんが頑張ってノートをコピーしてくれたのだろう。

皆の優しさを感じて、瞼に雫が滲んだ。

それもすぐに乾いた。

見慣れないものがあったからだ。
傍らにはノートパソコンが置いてあり、それにはUSBでルービックキューブみたいな形の機械が置いてあった。

「理名ちゃんは、お昼明けの授業から教室に復帰よ。
それまで、2ヶ月間のブランクをしっかり取り戻さないとね」

「この機械は、全教室に置いてある、壁耳くんっていう機械よ。

これ、ビデオカメラ機能の他に、音声録画抽出機能も付いているわ。

純粋に授業の映像だけが、2ヶ月分、詰まっているそうよ。

宝月理事長が編集してくださったみたい」

宝月理事長とは、さっき私をこの学園の入り口で見送ってくれた人だ。

もう、何でもありだから、驚かなくなってきたな……
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