狂気の王と永遠の愛(接吻)を 【第一部 センスイ編収録版】
「なんと……」
ガーラントが驚くのも無理はない。
魔導書というものは扱う者の意志により発動するもので、自らがその力を見せるなどあるはずがないからだ。そしてそれが唯一、悠久の民である確たる証拠として歓喜していたキュリオだが、内に秘めた不安はやはりダルドと同じ場所へ行きついた。
「素質が高いが故、というのなら問題はない。しかし……」
「……ふむ、場所まで定まっておられましたかな?」
「いや、ダルドの話では"魔導師の魔方陣"ということだけしかわからないようだった。君はどう考える?」
まるで密談を繰り広げるように設置された灯りは極限まで落とされ、互いの顔がやっと確認できるほどに暗く、そのなかに浮かぶキュリオの端正な顔はただ娘を心配する父親のそれに見える。
「……むぅ。おふたりの話から儂が思うのは……
素質が高いが故、というのはちょっと違う気が致しますな」
控えめに発言しながらも、<大魔導師>と称される悠久の頭脳が口を開いた。
「聞かせておくれ」
王に否定的な意見を述べるのは無礼に当たる。
しかし彼の右腕たるガーラントだからこそ許されることでもあり、キュリオも別の角度からの意見を求めているからこそ、こうして彼に相談しているのだ。
「……かしこまりました。
素質が高いと申されるのであれば、現時点でアレスを越える者はおりますまい。そのアレスでさえ魔導書自ら反応を見せず、ダルド殿の命によってようやく発動したのですじゃ。姫様の件が何故かと問われると難しいですが、歴代の持ち主の記録でもあれば或いは……」
生きる歴史と例えられるガーラント。それは彼が数千年まで遡るほどの膨大なこの国の歴史を紐解いているからだった。
そしてもちろんそれらの話をキュリオが知らないはずはない。
「私がセシエル様のもとで一時的な剣を授けられたとき、あの魔導書と似た物を持った人物がいた」
「ふむ、次代の王であるキュリオ様であれば、魔導書がそのような動きをみせても不思議はありますまい」
早くも手掛かりがあったかと思いきや、キュリオは首を横に振って答えた。
「いや、一度たりともそのような反応は見ていない」
「……むぅ。そうなりますとあれを創った者でなければ理解出来ぬようですな……」
「なぜアオイに限ってこのようなことばかり……」
変わらず胸を上下させ夢の世界へ羽ばたいている幼子にキュリオの瞳が悲しそうに揺れ動いた。
「だからこそ……かもしれませぬぞ」
「……どういう意味だい?」
ようやく聞き取れるほどの声でポツリと呟いたガーラント。顔を上げたキュリオは怪訝な表情でこちらを見つめている。
「姫様は自分では抱えきれぬものを背負ってお生まれになったからこそ、キュリオ様のもとに来られた。そうは考えられませぬか?」
「この子が私を選んで来てくれたのならこれ以上幸せなことはない。どんな困難からも必ず守ってみせる」
(お前が抱えきれぬものを持って生まれてきたのなら、そのすべて私が引き受けよう――)
自身の衣を握って眠る赤子の手に手を添える。キュリオが想いを伝えるように目を閉じると、腕の中のアオイが身じろぎする気配がした。
「…………」
目を開いた視線の先では、起き抜けの眼差しで何か言いたげにこちらを見つめるアオイがいた。
「姫様がお目覚めのようですな」
「そのようだね。おはようアオイ」
「……んぅ、……」
「うん? ……あぁ、そろそろミルクの時間だな」
まるで対話しているかのように言葉を紡ぐキュリオにガーラントの目尻が下がる。
キュリオは早々に侍女を呼びつけミルクを持ってくるよう指示すると、次の瞬間には赤子をあやしながら室内を歩きはじめた。
「アオイはダルドが好きかい?」
「……?」
「ふふっ、ダルドはお前が可愛くて仕方ないという様子だったね。よい関係を築ける間柄になってくれたら私も嬉しい」
まだ記憶の中の人物と名前を結びつけることができないアオイは瞳をパチクリさせながらキュリオの言葉に聞き入っている。
「彼はしばらくここに滞在する。何度か顔を合わせればアオイもダルドのことをすぐに覚えるだろう」
指先でやさしく頬をくすぐると誘発されたように笑顔を見せたアオイの手がヒラヒラと宙を舞って、顔を寄せたキュリオの頬へとたどり着いた。しっとりと吸いつくような赤子の手のひらに唇を押し当て、愛しい娘のぬくもりを感じたキュリオは誰にも語れぬ背中合わせの想いに胸を焦がす。
(……アオイが皆に愛されるのは嬉しい。だが、お前を一番愛しているのは私だ――)
その様子をやさしく見守っていたガーラントはアオイに降りかかる不安を吹き飛ばすように明るく言い放つ。
「ふぉっふぉっふぉっ! そのように寄り添われている限り、どんな運命もおふたりの邪魔は出来ますまい!」
「あぁ、運命など私が如何様にも変えてみせる」
この時、キュリオが誓った言葉に偽りはなく、彼女に降りかかる運命という名の悲劇に彼は真っ向から立ち向かうことになる。
――コンコン
『失礼いたしますキュリオ様。ミルクとお飲み物をお持ちいたしました』
赤子の食事を手にした侍女が戻ると再び腰を下ろしたキュリオ。
温められたミルクを受け取りながらも、その瞳が見つめる先はアオイではなかった。
「…………」
「……如何なされましたかな?」
「アオイの食事は別の者へ頼むしかなさそうだ」
キュリオは名残惜しそうにアオイを侍女へ預けると、少し離れた場所へミルクを与えるよう指示を出す。すると間髪入れずに再び扉の外から声が掛かった。
『キュリオ様、ブラスト殿がいらっしゃいました』
彼を招き入れるようキュリオの合図を確認した別の侍女が扉を開く。
「ブラスト参りました!」
なにごとにも熱い彼はこの時間になってもまだまだやる気のようだ。
腕を捲り、いまもなお成長を続ける鍛え上げた筋肉が唸りをあげているように見える。
「遅い時間にすまない。ガーラントの隣に座ってくれるかい?」
「はっ!!」
手際のよい侍女がそれぞれのカップへ新たな紅茶を用意すると、キュリオはアオイを抱いている侍女以外の従者へ退室を促す。
そのやりとりを見守っていたブラストは何やら深刻な話をされるかもしれないという覚悟を求められた気がした。
「……っ」
(……キュリオ様はカイのことでなにか……)
偉大な銀髪の王に呼び出されただけでも緊張に胃液が上がってきそうだ。
大勢の前で言われるのと違い、人目を忍んで顔を合わせるというのはそれなりの理由があるからだ。
「君を呼んだのは"使者"として運んでもらった書簡の中身と、出揃った返事についてだ」
「は、はっ!!」
膝の上で拳を握りしめながら前のめりになるブラスト。額には玉のような汗が滲んでいる。
「あれは聖獣の森に置き去りにされていた赤子の身元を調べるための書簡だ」
「せ、聖獣の森に……? なんて愚かな……っ……」
ただの人間ではそこに近づく事も許されない聖なる地。
太古より生きる聖獣は人の気配や心に敏感で、大抵は森の奥深くに身を隠し姿を見せないものだ。
しかし、その美しき容姿のために悪事を働く輩がいる。いつの日かキュリオがダルドを守ったように、愚かな猟師(キニゴス)が後を絶たないのが現状だった。そして聖獣が幼子を襲ったという事例は聞いたことがないが、それでも鋭い角に突かれてはひとたまりもない。置き去りにした者の命などさらに危険なはずだ。
「あぁ、しかし彼女の肉親は悠久に存在していないことがわかった」
「……なんです、と……?」
まさかそのような言葉が出てくるとは思いもよらなかったブラストは目と口を大きく見開いている。
「四大国の回答も該当なしという結果に終わった」
「あ、ありえるのでしょうか……? そのようなことが……」
ガーラントが驚くのも無理はない。
魔導書というものは扱う者の意志により発動するもので、自らがその力を見せるなどあるはずがないからだ。そしてそれが唯一、悠久の民である確たる証拠として歓喜していたキュリオだが、内に秘めた不安はやはりダルドと同じ場所へ行きついた。
「素質が高いが故、というのなら問題はない。しかし……」
「……ふむ、場所まで定まっておられましたかな?」
「いや、ダルドの話では"魔導師の魔方陣"ということだけしかわからないようだった。君はどう考える?」
まるで密談を繰り広げるように設置された灯りは極限まで落とされ、互いの顔がやっと確認できるほどに暗く、そのなかに浮かぶキュリオの端正な顔はただ娘を心配する父親のそれに見える。
「……むぅ。おふたりの話から儂が思うのは……
素質が高いが故、というのはちょっと違う気が致しますな」
控えめに発言しながらも、<大魔導師>と称される悠久の頭脳が口を開いた。
「聞かせておくれ」
王に否定的な意見を述べるのは無礼に当たる。
しかし彼の右腕たるガーラントだからこそ許されることでもあり、キュリオも別の角度からの意見を求めているからこそ、こうして彼に相談しているのだ。
「……かしこまりました。
素質が高いと申されるのであれば、現時点でアレスを越える者はおりますまい。そのアレスでさえ魔導書自ら反応を見せず、ダルド殿の命によってようやく発動したのですじゃ。姫様の件が何故かと問われると難しいですが、歴代の持ち主の記録でもあれば或いは……」
生きる歴史と例えられるガーラント。それは彼が数千年まで遡るほどの膨大なこの国の歴史を紐解いているからだった。
そしてもちろんそれらの話をキュリオが知らないはずはない。
「私がセシエル様のもとで一時的な剣を授けられたとき、あの魔導書と似た物を持った人物がいた」
「ふむ、次代の王であるキュリオ様であれば、魔導書がそのような動きをみせても不思議はありますまい」
早くも手掛かりがあったかと思いきや、キュリオは首を横に振って答えた。
「いや、一度たりともそのような反応は見ていない」
「……むぅ。そうなりますとあれを創った者でなければ理解出来ぬようですな……」
「なぜアオイに限ってこのようなことばかり……」
変わらず胸を上下させ夢の世界へ羽ばたいている幼子にキュリオの瞳が悲しそうに揺れ動いた。
「だからこそ……かもしれませぬぞ」
「……どういう意味だい?」
ようやく聞き取れるほどの声でポツリと呟いたガーラント。顔を上げたキュリオは怪訝な表情でこちらを見つめている。
「姫様は自分では抱えきれぬものを背負ってお生まれになったからこそ、キュリオ様のもとに来られた。そうは考えられませぬか?」
「この子が私を選んで来てくれたのならこれ以上幸せなことはない。どんな困難からも必ず守ってみせる」
(お前が抱えきれぬものを持って生まれてきたのなら、そのすべて私が引き受けよう――)
自身の衣を握って眠る赤子の手に手を添える。キュリオが想いを伝えるように目を閉じると、腕の中のアオイが身じろぎする気配がした。
「…………」
目を開いた視線の先では、起き抜けの眼差しで何か言いたげにこちらを見つめるアオイがいた。
「姫様がお目覚めのようですな」
「そのようだね。おはようアオイ」
「……んぅ、……」
「うん? ……あぁ、そろそろミルクの時間だな」
まるで対話しているかのように言葉を紡ぐキュリオにガーラントの目尻が下がる。
キュリオは早々に侍女を呼びつけミルクを持ってくるよう指示すると、次の瞬間には赤子をあやしながら室内を歩きはじめた。
「アオイはダルドが好きかい?」
「……?」
「ふふっ、ダルドはお前が可愛くて仕方ないという様子だったね。よい関係を築ける間柄になってくれたら私も嬉しい」
まだ記憶の中の人物と名前を結びつけることができないアオイは瞳をパチクリさせながらキュリオの言葉に聞き入っている。
「彼はしばらくここに滞在する。何度か顔を合わせればアオイもダルドのことをすぐに覚えるだろう」
指先でやさしく頬をくすぐると誘発されたように笑顔を見せたアオイの手がヒラヒラと宙を舞って、顔を寄せたキュリオの頬へとたどり着いた。しっとりと吸いつくような赤子の手のひらに唇を押し当て、愛しい娘のぬくもりを感じたキュリオは誰にも語れぬ背中合わせの想いに胸を焦がす。
(……アオイが皆に愛されるのは嬉しい。だが、お前を一番愛しているのは私だ――)
その様子をやさしく見守っていたガーラントはアオイに降りかかる不安を吹き飛ばすように明るく言い放つ。
「ふぉっふぉっふぉっ! そのように寄り添われている限り、どんな運命もおふたりの邪魔は出来ますまい!」
「あぁ、運命など私が如何様にも変えてみせる」
この時、キュリオが誓った言葉に偽りはなく、彼女に降りかかる運命という名の悲劇に彼は真っ向から立ち向かうことになる。
――コンコン
『失礼いたしますキュリオ様。ミルクとお飲み物をお持ちいたしました』
赤子の食事を手にした侍女が戻ると再び腰を下ろしたキュリオ。
温められたミルクを受け取りながらも、その瞳が見つめる先はアオイではなかった。
「…………」
「……如何なされましたかな?」
「アオイの食事は別の者へ頼むしかなさそうだ」
キュリオは名残惜しそうにアオイを侍女へ預けると、少し離れた場所へミルクを与えるよう指示を出す。すると間髪入れずに再び扉の外から声が掛かった。
『キュリオ様、ブラスト殿がいらっしゃいました』
彼を招き入れるようキュリオの合図を確認した別の侍女が扉を開く。
「ブラスト参りました!」
なにごとにも熱い彼はこの時間になってもまだまだやる気のようだ。
腕を捲り、いまもなお成長を続ける鍛え上げた筋肉が唸りをあげているように見える。
「遅い時間にすまない。ガーラントの隣に座ってくれるかい?」
「はっ!!」
手際のよい侍女がそれぞれのカップへ新たな紅茶を用意すると、キュリオはアオイを抱いている侍女以外の従者へ退室を促す。
そのやりとりを見守っていたブラストは何やら深刻な話をされるかもしれないという覚悟を求められた気がした。
「……っ」
(……キュリオ様はカイのことでなにか……)
偉大な銀髪の王に呼び出されただけでも緊張に胃液が上がってきそうだ。
大勢の前で言われるのと違い、人目を忍んで顔を合わせるというのはそれなりの理由があるからだ。
「君を呼んだのは"使者"として運んでもらった書簡の中身と、出揃った返事についてだ」
「は、はっ!!」
膝の上で拳を握りしめながら前のめりになるブラスト。額には玉のような汗が滲んでいる。
「あれは聖獣の森に置き去りにされていた赤子の身元を調べるための書簡だ」
「せ、聖獣の森に……? なんて愚かな……っ……」
ただの人間ではそこに近づく事も許されない聖なる地。
太古より生きる聖獣は人の気配や心に敏感で、大抵は森の奥深くに身を隠し姿を見せないものだ。
しかし、その美しき容姿のために悪事を働く輩がいる。いつの日かキュリオがダルドを守ったように、愚かな猟師(キニゴス)が後を絶たないのが現状だった。そして聖獣が幼子を襲ったという事例は聞いたことがないが、それでも鋭い角に突かれてはひとたまりもない。置き去りにした者の命などさらに危険なはずだ。
「あぁ、しかし彼女の肉親は悠久に存在していないことがわかった」
「……なんです、と……?」
まさかそのような言葉が出てくるとは思いもよらなかったブラストは目と口を大きく見開いている。
「四大国の回答も該当なしという結果に終わった」
「あ、ありえるのでしょうか……? そのようなことが……」