薫子様、一大事でございます！

言うのを躊躇っている私に北見さんが「何だよ」と急かす。


「……あのですね、」


もじもじしてしまっても仕方ないと思うようなお願いを考えている私。


「だから何だ」


言いながら、エンジンをもう一度ふかす。


「一度だけでいいので……“薫子”って呼んでもらえません……か？」


北見さんの動きが一瞬だけ止まったのを感じた。

それに連動して、私の心臓までドキンと音を立てる。


北見さんは、最後にエンジンをひとふかしすると、そのまま公道へとバイクを走らせたのだった。

私の願いは聞き入れられず。


……仕方ないか。
無理なお願いだったのよね。


諦めかけたそのとき――


「……薫子」


そう呼ぶ北見さんの声が聞こえた。


でもそれは耳に直接ではなく、背中から響いたような声で。

それがかえって、胸に残るような呼び方だった。


「……ありがとう……ございます」


北見さんの腰に回した腕に力を込めた。