想い涙
白馬の王子様はいないけれど
車窓から見える美しい雪景色に、目を奪われる。
「ねえ、あれじゃない?」
一人が指を差すと、ドライバーの男を除いて、わたしを含めた残りの四人が面白いほど同時に、同じ方向に顔を向けた。
こじんまりとしているものの、趣のある旅館。
どうやらあれが、わたしたちの泊まる旅館らしい。
「お、結構よさげじゃん」
「さすが、ゆきが探してくれただけあるね」
「まあね。未花に任せなくてよかったでしょ」
「ひど!最初はみんなして『幹事はお前しかいない』って言ってたくせに!」
自分への扱いの悪さに文句を並べつつも、数年ぶりの懐かしいやりとりに笑みがこぼれる。
「文句言いたいのはこっちだよ!途中で運転交代するって言ってたくせに!」
運転は男三人で交代する予定だったけれど、交代は一度もないまま目的地に着こうとしていた。
「だって、この中で一番運転うまいのお前じゃん?」
「そうそう。あとで背中流してやるからさ」
「いらねーよ」
騒がしいドライブはようやく終わりを告げたが、駐車場に車を停めて外に降り立つと、皆、寒さのあまり我先にと旅館に走り、騒々しさは変わらない。
アラサーと呼ばれる年代に差し掛かっても、学生時代と同じような関係でいられることは喜ばしいことだ。
ネックレスにかかったリングを、服の上から押さえる。
まだ、もう少し、このままでいたい。
「お寒い中、ありがとうございます」
中に入れば、かわいらしい顔立ちの若女将が出迎えてくれた。
隣には、娘さんなのか、小さな女の子が若女将の着物の裾を掴みながら立っている。
「六名で予約している深原です。お世話になります」
代表して名乗ったゆきを、若女将がフロントへ案内する。
女の子は若女将から手を離すと、玄関の隅に置かれていた長靴を、座り込んで履こうとしていた。
「おねえちゃん、どこ行くの?」
しゃがんで女の子に目線を合わせる。
「寒いからおじぞーさんに傘あげるの」
「お地蔵さん?」
みんなで女の子を囲んでいると、若女将が慌てて走ってきた。
「すみません。昨日、寝る前に笠地蔵を読んでやったものですから」
「へー、おねえちゃん優しいんだね」
若女将は女の子の足から長靴を引き抜こうとするが、女の子は負けじと動き回る。
「ただ、この子が言ってるの、お地蔵さんじゃないんです」
「え?」
「不自然に石が置いてあって、たぶん、動物か何かのお墓だと思うんです」
「まあ、子供には違いなんてわかんねーよな」
「だからなおさら、行かせるわけに行かないんです。人様のお墓に勝手なことはさせられないので」
それから暴れ回る女の子をなんとか若女将が押さえつけ、部屋に案内された。
部屋は二部屋予約されており、男女で別れて室内に入るも、女性陣はすぐさま温泉へ行くための支度をして部屋を後にする。
旅館の渡り廊下から見える雪景色に、きれいだと感想を言い合いながら歩く。
ふと、視線を感じた気がして、正面から歩いてくる二人組の顔を確認する。
「未花!」
目の前にいる人物を捉えた瞬間、思いがけない再会に驚くよりも先に、嬉しさのあまり思わず抱きついていた。
「愛里さん!」
「誰?」
面識のない友人二人は、互いに顔を見合わせていた。
「大学の知り合いじゃないから、二人は知らないよ。昔近所に住んでたお姉さん」
「きれいな人だね」
「ありがとう。未花は友達と?」
きれいだと言われても否定せず、愛里は質問を続けた。
そうされても嫌みを感じないくらいの美人だから、友人たちも特に表情を崩さない。
「はい。大学時代のサークル仲間と来てるんです」
「そう。たのしそうね」
「未花、わたしたちじゃまになっちゃうし先に行くね」
気を遣ってくれたのか、会話が長引きそうな気配を感じて逃げたのか、二人は足早に温泉へ向かった。
「ごめんなさいね。気を遣わせちゃったかしら」
「いいんです。わたしもちょうど、愛里さんに伝えたいことがあったので」
「何かしら」
ネックレスのチェーンを引っ張って、その先のリングを見せる。
うまく、笑えるだろうか。
「わたし、結婚するんです」
愛里さんの隣にいた男が過剰に反応した。
「おめでとう」
愛里さんはリングを持つ手を取ると、止める間もなく服の中に戻した。
「未花のことだから、なくさないようにネックレスに付けてあるんでしょう。しまっておきなさい」
「どういう意味ですか、わたしがなくしそうってことですか」
「違うの?」
「そうですけどね」
年上の愛里にはいつもからかわれてばかりだったと思い出しながら、右手をリングのある辺りに当てる。
大丈夫、まだ笑える。
「今度は愛里さんの番ですよ。隣の彼氏さんを紹介してくださいよ」
「彼氏じゃないわ、同僚みたいなものよ」
「えー、怪しいなあ」
男は終始無言だった。
愛想がないわけではないと、その優しげな面立ちからわかるから、人間関係に不器用な人なのかもしれない。
「騒がしくてすみませんね」
声を聞きたい気がして、男に話を振ってみる。
男は一度目を伏せてから、意を決したように口を開いた。
「なんでその指輪、指につけないの?」
本当なら、初めての会話としてはおかしくないかとか、考えるべきところは別にあるはずだった。
それを考えられないくらい急に、小さなそのリングが重みを増した気がした。
いや、ずっと、感じていたのに気づかないふりをしていた。
首を少しずつ絞めていくような、その重みを。
左手を上げて、芸能人が結婚会見でするように、甲を二人に向ける。
「みんなに話すと笑われるんですけど、わたし、ここには先約がいるんです」
薬指をそっと撫でる。
「彼氏のことは好きです。もちろん結婚したいと思ってます。……ただ、ここには、別の誰かがいる気がするんです」
いつか白馬の王子様が迎えに来てくれることを期待しているわけではない。
「変、ですよね」
心の中にはいつも空洞があって、今の彼氏では埋めることはできなかった。
その誰かをいつまでも待ち続けているくせに、大学時代から付き合い始めた彼と別れることもできず、ついに結婚する。
ずるい女だ。
「変じゃないよ」
いつの間にかすぐ目の前に立っていた男の、真剣な表情に息を呑んだ。
「変なんかじゃないよ」
何度も、何度も、親が子に言い聞かせるように、囁く。
「ありがとう、未花……」
男はわたしの左手を、自分の両手で包み込む。
そのぬくもりは、ひどく心地よかった。
「悪いけど、そろそろ時間になるわ」
愛里に声をかけられて、名残惜しそうに男は手を離した。
わたしもなぜか、左手から目を離せなかった。
「ごめんなさいね。わたしたちは今から帰るの」
「お幸せに」
最後に見せた男の笑顔を、一生忘れないだろうと、ふいに思う。
「たくさん、幸せになります」
またお会いしましょうとは言わない。
わたしたちはもう二度と、会うことはできない。
そう、埋まった心の空洞が教えてくれた。
二人に背を向けて、振り返らずに部屋へ戻る。
歩きながら、ネックレスを外して、リングを握りしめる。
早く、会いたい。
女子部屋の隣の、男部屋の引き戸を叩く。
「どうぞー」
中に入ると、彼しか室内にいなかった。
「二人は?」
「風呂。俺は運転代わってもらえなくて疲れたから、夕飯まで寝ることにした」
折り曲げた座布団を枕に、仰向けになって音楽を聴いている彼の隣に座る。
「ねえ、もうこれいらないや」
ネックレスのチェーンを、先日ビール腹だと嘆いていた彼のお腹に落とす。
「は?」
「なくさないようにがんばるから、ここに付けていい?」
彼も、気づいていたのかもしれない。
一瞬間の抜けた表情をしてから、親が子供に向けるような、優しい笑みを浮かべて、上半身を起こした。
わたしの手の中のリングを手にとって、左手に恭しく通す。
「これで満足ですかね、うちの嫁さんは」
「まだちょっとなー。お肉がいっぱい食べたいかな」
「それは満腹だろ」
笑いながら、頬を涙が伝っていく。
「泣くなよー」
あやすように、イヤホンの片方を耳に押し込まれる。
流れている曲は、彼の尊敬している歌手のものだった。
「これって、俺の応援ソングなの」
がんばれ、と頭をくしゃりと撫でられる。
「……好きだよ」
この曲、と付け足す。
言い慣れていないから、わたしはいつも、こんなかたちでしか伝えられなかった。


END
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