インセカンズ
「ああ。それは、コンビニで待ってるアズ見つけて、‘何なの、その恰好。やべ、かわいい’って思ったら、そのまま車の中で押し倒しそうになったから、ずっと頭ん中で呪文唱えてたんだよ。だから話さなかっただけ。アズとパーカーが結びつかなかったから、気の抜け具合が妙にツボに入ったんだよ」

そう言って笑顔を見せる安信の姿に、緋衣は今にも顔が赤くなってしまいそうなのを必死で堪える。彼は緋衣に対して、‘かわいい’という言葉をよく使う。その度にどこか擽ったくて、素直に受け入れられない。

「今、さらっと言ってましたけど、呪文って何ですか?」

はたと首を傾げる緋衣に、安信は、ん?と喉の奥を鳴らす。

「円周率。煩悩を抑える為に、円周率を覚えてるとこまで延々繰り返すの」

バカみたいだろ?と言葉を続ける安信だったが、緋衣は感心したように口を開く。

「男子はそんな使い方してるんですか? それにしてもよく覚えられましたね、そんな膨大な数字」

「中学ん時に流行らなかったか? 意味のないこと覚えて競うの。電車降りて歩いてたら自分ちが近付くにつれてやりたくて悶々としてきてさ。それがアズの顔見たら頂点に達して、このままじゃきっとめちゃくちゃにすると思ってさっき一回ぬいてきたら、煩悩も成仏してったわ」

ぺろりと舌を出して首を竦める安信は、その表情もだいぶリラックスしたものになっている。彼が言ったことは本当なのだろう。

「ということは、私はなんでここに?という疑問が出てきますね」

「まぁ、たまには何もしなくてもいいんじゃね? 勿論、アズがしたいって言うなら俺はいつでもすぐその気になるけど」

安信は、どうする?と言わんばかりに首を傾げて緋衣を窺う。それは、彼女が一番好きな角度だ。
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