きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―
 一夜、明けた。アタシたちはネネの里を発つことにした。
 ニコルは食材の買い物に出掛けた。ラフは、暇つぶしに双剣を研ぎ始めた。アタシは、立って腕組みをしたまま、ラフを見ていた。
 ラフの姿が変わった。あの赤黒い呪いの紋様の範囲が広がっている。
 初めて会ったとき、紋様はメイルの胸当てから少し、はみ出す程度だった。それから二回呪いを発動させて、胴体はおへそのラインより上が、腕は肘より上が、赤黒い紋様で埋め尽くされている。
「なぁに見とれてんだ?」
「見とれてるわけじゃないわよ」
「そうかな? 熱ぅいまなざしを感じたんだけど」
「バカ。ぶっ飛ばされたい?」
「遠慮しとく」
「あのね、アンタに訊きたいことがあるの。なんで呪いを設定したの? せっかくレベルやクラスを上げても、デリートされる運命なのよ?」
 そもそも、どうやって呪いなんて設定できたの? ほとんどのユーザは、その存在さえ知らないのに。
 もしかして、ラフの「中の人」はピアズの開発部の人?
 ラフは剣を研ぐ手を止めずにささやいた。繊細な声だ。
「呪いを設定したのは、早いとこハイエストまで来たかったからだ。それと、終了の目安がほしかったから」
「終了?」
「ほら、ピアズは、家庭内完結のハコ型と違うだろ。ゲームをクリアするって概念がない。ユーザがクラスを上げるペースに合わせて、ステージも新しく増やされる。半永久的に遊べるゲームだ」
「そうね」
「オレはちょっとした訳ありでさ……いや、というか、まあ要するに、あんまり時間に余裕がないんだ。だから、呪いのチートな能力を設定した。デリートされるまで遊ぶって決めて、ハイエストクラスに上がってきた」
「でも、呪いがなくても、そこそこ強いでしょ。使わずに乗り切ってみたらどう?」
「んー、ハイアークラスまでは、呪いを使わずに来れたんだ。ハイエストは、このステージで二つめだけど」
「前も聞いたわ」
「一つ前のステージでは、大所帯のピア・パーティと一緒に行動してた。呪いは一回しか使わずにすんだんだけど、失敗したよ。もっと使ってやるべきだった」
「どういうこと?」
「オレがもったいぶってるうちに、ピアが三人ほどハジかれちゃってね。世話になってたのに、悪ぃことした。ハイエストまで来ると、ボス戦はやっぱ苦しいよ。ぶっちゃけた話、オレはそこまでコマンド速くないから」
「嘘ばっかり」
 ラフは作業を止めて、剣を置いた。両方の手のひらを広げて、手のひらを黒い目で見つめる。生身の人間みたいな仕草だと、アタシは思った。
「嘘ならいいんだけどな。長いコマンドは厳しいんだ。十代のころみたいには、速い入力ができなくなっててさ」
「え。アンタ、オッサン? 声、肉声でしょ? 若い感じだけど?」
 ラフは両手をグーにして、パーにして、またグーにした。
「詮索禁止。まあ、とにかく、お姫さまの足を引っ張らないように、頑張ってみるよ」
「呪いをやられると困るわ。アンタの動きが読めなくて、バトルに入れない」
「悪ぃ。アリィキハ戦では、オレ自身、どう動くかわからなかった。コントローラに従ってくれねえの。頭を狙うっていう指示だけしかコマンドできなかった」
 コントローラに従わない?
「それって……」
 ヤバいんじゃないの、って言おうとしたら。
「ところで、お姫さま。お出かけ前の朝シャンとか、しないの?」
「なっ……しないわよ、バカ!」
「のぞきイベントで、貧乳のよさに目覚めたかもしれねえ。なかなか衝撃だった」
「こんのぉ!」
 アタシは、ラフが脱いでほったらかしにしているブーツを拾った。ラフ目がけて投げつける。
「おっと」
 ラフは、あぐらの状態から機敏にジャンプした。はだしのまま、すたすた逃げ出す。
「あははは! そんなんじゃ当たんねえよ!」
 ラフの笑い声を聞きながら、アタシは立ち尽くした。
 ブーツを脱いだラフの脚。初めてちゃんと見たけど、脚にもビッシリと呪いの紋様が刻まれてた。
 呪いの紋様が全身をくまなく覆うとき、デリートが始まる。
「アイツ……あとどれくらい、こっちの世界にいられるんだろう?」
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