きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

■約束

 もともと今日は外出する予定だったんだって。そこにあたしも加わって、三人で県立美術館に向かった。
 朝綺は美術館に会員登録してるらしい。
「外に出る機会をつくれって、界人がうるさいんだ。美術には、そこまで関心があるわけじゃないんだけどさ」
 朝綺は軽量型の車いすに乗って、おにいちゃんが車いすを押している。
 車いすのハンドルの位置は、あたしが押すには高すぎた。背が高いおにいちゃんに合わせてハンドルの位置を決めた特注品なんだって。お互いに負担にならないように作ったらしい。
 美術館って、あたし、実は初めてだ。視覚に強いあたしは、絵は得意分野のはずなんだけど、あたしが通ったエリートアカデミーに美術系の講義はなかった。
 平日の美術館は、貸し切りに近いくらいのガラガラ状態だった。
 おにいちゃんは、絵がけっこう得意だ。ゲームの開発でもCGを担当してたくらいだから、美術館にもご満悦みたい。
「ぼくは、いつもいい目を見させてもらってるよ。朝綺がいるおかげで、たいていの施設で介助者の入場料はタダだから」
 ちなみに、今日はあたしもタダで入館してる。美術館の会員である朝綺が優待券を持ってたから。
 シャガールっていう画家の特別展だった。おにいちゃんがいちばん好きな画家だって。
 マルク・シャガールは二十世紀の画家だ。ユダヤ系で、ロシア圏の出身。二度の世界大戦を経験しながら、差別から逃れていろんな国を渡り歩いた。
 人が飛んでる絵が多い。花束っていうモチーフも多い。サーカスもたくさん描かれてる。
 感情そのものみたいな色遣いが、あたしの視覚に刺さる。喜びのブルー。悲しみのスカーレット。失った故郷を想うときは、寂しげなグリーン。
 シャガールが描くのは、感情だ。その描き方は、計算し尽くしてある。計算はたぶん、本能的なもの。
 情感と色彩を関数に見立ててカンヴァスの上で処理するみたいに、シャガールの絵はとても理性的で秩序的だ。
 あたしと同じタイプの人だったのかもしれない。目に映る光景を、数式に置き換えて分析する。変わり者の自分を、同時に分析しながら。
 幻想的なタッチの中に、整然とした法則が読み取れる。緻密な計算が、現実と非現実を美しく溶け合わせる。
「いい絵ね」
 初めて見たのに、なつかしくて、苦しくなる。不思議。百年前の画家の絵が、あたしの心に、こんなに近い。
「麗って、絵が好きだったっけ?」
「嫌いじゃないみたいね。自分でも知らなかった」
「じゃあ、これからも三人で来ようか」
「さ、三人ね。うん……」
 朝綺がイヤだって言わなければね。
 おにいちゃんが美術館を楽しんでるのはよくわかる。でも、朝綺はどうなの? あたしがいて、邪魔じゃない?
 あたしはシャガールの絵に心を奪われながら、同時に、一瞬で多くの情報を読み取れるこの目で、朝綺の言葉や表情を観察してる。朝綺の情報を一つも取り逃がしたくなくて。
 見れば見るほど、朝綺はラフを思い出させる。
 現実に比べて圧倒的に少ない表情しか持てない世界で、それでも全身で生き生きしてたラフ。あんなふうに跳んだり跳ねたりするのが、朝綺の望みなんだ。
 真実を知って、あたしは悔しくてたまらない。
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