さくら駆ける夏

酒井さんと本間さん

 酒井さんは、また先頭に立って、私たちを誘導してくれる。
 八重桜さんの話によると、酒井さんが私のブログを発見してくれて、八重桜さんに知らせたらしいし、八重桜さんの事情も私の事情も知っているはず。
 それなのに、この場でその話題を振らない気遣いに、プロフェッショナルさを感じた。
 さっきの話し合いでは結論が出ず、今その話を振られても歯切れのよい答えはできないので、私としてはすごくありがたい。
 酒井さんにエスコートされ、涼君と私は、来たときと同じエレベーターに乗り込む。
 酒井さんはエレベーターの「一階」のボタンを押した。



「さて、また駅までお送りしますね」
 駐車場まで歩いてきて、酒井さんが言った。
「よろしくお願いします」
 私がそれを言い終わった瞬間のことだった。
「おーい!」
 背後から誰かが叫んだみたいだ。
 酒井さんと涼君と私は、全員、一斉に振り向いた。

 緑がかったスーツを着た男の人が、私たちのほうに向かって走ってきていた。
 声の主は、どうやらこの人だったみたい。

 長いもみあげが印象的な人だった。
 年齢はパッと見、よく分からない。
 酒井さんや八重桜さんと同じくらいかな。
 しかし、走るフォームはダイナミックで、二十代と言われてもうなずけそうなほどの、身体のキレだ。
「酒井さん! よかった、間に合った! 会長より、急いで社長室まで来てくれとの伝言です!」
 息を切らしながら、その男の人が言う。
「え? 私はこれから、こちらのお二方を東京駅まで送っていかないといけない予定になっているのだが……。君のその服、運転手のものだね。ああ、そうか。君が今日から入ったという本間君かな?」
「はい! 申し送れましたが、本日より運転手として勤務いたします本間です! よろしくお願いいたします」
 元気良く言う本間さん。
「ふむ、よろしく。それで、会長がお呼びだって?」
「はい! 重要なご連絡がおありだということで! それで、お二人を東京駅までお送りする業務は、私が代わって行うように、と頼まれました!」
 本間さんと呼ばれた人は、肩で息をしながらも、声はすごく大きかった。
 元気いっぱいな人だな……。
「そういうことなら、よろしく頼んだぞ。くれぐれも気をつけてな。万が一にも、事故などは決して起こさぬように」
「はい! もちろんです!」
「そういうことで……」
 ここで酒井さんは、涼君と私の方へ向き直って言う。
「申し訳ありませんが、会長がお呼びということで、私はこれで失礼いたします。そこにおります本間が、責任をもって、駅までお送りしますので、ご安心くださいね。それでは、また近いうちにお会いできることを楽しみにしています」
「あ、はい、色々とすみません。酒井さんもお気をつけて」
 私は頭を下げた。
「それでは、また」
 涼君もそう言って、軽く頭を下げる。
 酒井さんも軽く一礼してから、ビル入り口の方へ足早に引き返していった。



「はじめまして、運転手の本間と申します!」
 元気よく挨拶されたので、涼君も私も挨拶を返した。
 本間さんは素早く車のドアの前まで移動すると、ドアを開けながら私たちの方を向く。
「それでは、どうぞお乗りください」
 私たちは「失礼します」と言いながら乗り込んだ。
 本間さんは、元気の良い動きや声に似合わず、そっとドアを閉めてくれた。
 そして軽やかに運転席に飛び乗ると、シートベルトを締める。
「それじゃ、出発しますね!」
 また大きな声でそう言うと、本間さんは車を発進させた。



 車中では、本間さんが運転席にいるということで、私は当たり障りのない話題を選んで涼君と話していた。

「来週は、他校との練習試合だ。頑張ってくるよ」
 涼君がそう言ったときだ。
 突然、本間さんは「ああ~」と言いながら、路肩に車を止めた。
 どうしたんだろう?
 辺りを見回すと、時間帯のせいもあるのか、人通りはほとんどなかった。
 知らない土地に来ているので、そこがどこなのかとういうことはもちろん一切わからない。
「すみません、道を間違えたみたいで」
「え~」
 本間さんの言葉に、涼君と私は同時に声を上げてしまった。
 そういえばこの車にカーナビがついているのに、起動されていない。
 てっきり、道順を本間さんが頭に入れているからだと思っていたんだけど。
「カーナビを使わないんですか?」
 私は聞いてみる。
 そのとき―――。

 車外から人声がしたかと思うと、涼君の座っている横、歩道側のドアが突然開いたので、私は飛び上がるほど驚いた。
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