【壁ドン企画】杉下家の平和な日常
杉下家の平和な日常

杉下家は平和だ。

幸せなことだし、家庭円満は精神的にもありがたい。

しかし、過ぎるのもどうかと思う。

「昌俊さん、ネクタイ曲がってますよ」
「ああ、小百合さんありがとう。行って来ます」

父が会社に行く時は、母は必ず玄関までお見送りをして、行ってらっしゃいのチューをする。

小さいころから見慣れているので、それはよしとしよう。

家の中だし、目をつぶろう。

「由梨絵ちゃん、時計、携帯、定期」
「OK、ばっちり。じゃあ、今日は遅くなるからね、ママ」

姉と母の朝の忘れ物チェックは毎日呪文のように繰り返される。

母は頬を姉のほうに差し出すと、姉は姉で何の躊躇もなく唇を寄せる。

外人かっつーの。

ちなみに、姉は大学生4年生だ。

習慣というのは恐ろしい。

して当たり前だと思うことが、社会的には当たり前ではないと、理解できているだろうか。

「俊也も、忘れ物しないようにね」

母がカバンやらアクセサリーやらをかき集めて出かける準備をするのを、のんびり朝ごはんを食べながら眺める。

「じゃあ、ママ出かけるから、戸締りよろしくね」

細身のジーンズを履きこなす母は、たぶん実際の年齢よりずいぶん若く見られるだろう。

息子ながら褒めてやろうと思う、すばらしい美魔女っぷりだ。

もぐもぐと朝ごはんを咀嚼している俺の頬に母は勝手に唇で触れてから、いそいそと出て行く。

家を出る時の拶挨として、母は我が家の全員にコレが課している。

全力で嫌がったこともあるが、結局疲れるだけで、必ずされるので、大人しくされることに決めた。

あくまでこれは母との挨拶で、俺が姉,ましてや父親にこの手の挨拶はしていない。

静かになった我が家で、一日のスケジュールを考える。

ご飯を食べ終わったら、歯磨きして、着替えて、2限までに課せられたレポートを書き上げる。

ぶちぶち文句を言いながら、非行にも走らず、自分でいうのもナンだが真っ直ぐに育った青少年は、大人しく与えられた課題をきっちりこなす。

夕方から近くのファミレスでバイトしている俺はシフトを入れていたので出勤する。

何の変哲もない穏やかな一日。

波乱万丈の人生が面白いというヤツもいるが、ぬくぬくと愛情深く育った俺は、現状で十分満足している。





バイトが終わって、家に着いたら、父親もちょうど帰ってきたところだった。

車の中から、「お帰り、息子よ。父のために車庫を開けてくれ」と頼まれたので、素直に開けてやる。

どっちがお帰りで、どっちがただいまなのだろうかと一瞬頭を過ぎるが、どうでもいいことは考えても仕方がない。

「ただいま。親父も帰ってきたよ、今車停めてる」
「お帰りなさい。じゃあ、ここで昌俊さん待ってるわ」

洗い物でもしてたのか、濡れた手をエプロンで拭きながら玄関に顔を出したのは母。

いそいそと玄関の靴をそろえたり、置いてある各地のお土産の場所を微調整して、その場に留まる。

新婚の夫婦でもないのに、いつまでこの夫婦は仲がいいのやら。

嬉しそうな母を玄関に置いて、俺はリビングに向かう。

「オカエリー」

ソファーに寝転がって携帯を弄る姉は顔は上げないが、片手を挙げて挨拶をしてくれる。

仲は、悪くはないと思う。

お互い、あまり深く干渉しあわずに生きているとも言う。

荷物を床に放り投げて、テレビの前に腰を降ろすと、玄関が開く音が聞こえる。

父が帰ってきのだろう。

リビングから直接は見えないが、父を喜んで迎える母の姿は、想像に難くない。

しかし、今日は不思議な父の声が届いた。

「ドーン」

何事かと姉と二人、顔を見合わせてから、玄関に駆けつけると、母を壁に押し付けて、父が片手を壁について立っている。

いわゆる流行の『壁ドン』ってやつだ。

一瞬家族全員が凍りついたが、姉がその場で腹を腹を抱えて爆笑し、ポカンと口を開いたまま驚いていた母が少女のように両手を頬に当てて赤面する。

「なにやってんだよ、親父」
「え?会社で女性はこういうのが好きって聞いてな」

姉に笑われてどこか不満顔の父にげんなりと背中を向ける。

「『ドーン』って、『ドーン』って・・・ウケル」

笑いのツボにはまって笑い転げる姉を足蹴にしてから、俺はまたテレビの前に戻る。

夫婦が好きでやってるんだから、関わることはない。

放っておけ。

まだ頬を赤く染めている母とともに父がリビングに入ってくると、今度は母親が爆弾を投下した。

「私は、今の、ときめきましたよ?」
「そうだろう?」

母の一言で父の機嫌は急上昇し、姉弟でもう一度顔を合わせると、『ご馳走様でした』と声をそろえて各自の部屋に引きあげることにした。

今日も、杉下家は平和です。
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