碧い人魚の海

「ブランコの横木を結わえてあるロープが突然ほどけて外れたの。彼女はつかんだブランコの横木から滑り落ちて、そのまま一気に真下に落下して、舞台の床に叩きつけられたのよ。
 大きな衝撃音がしたわ。床には次の催し物のための道具が用意されていて、その上に叩きつけられた彼女はぐじゃぐじゃに潰れてしまった。潰れた彼女は客席から見ると、どうしてかしら、わたくしにはとても綺麗に見えたの。まるで舞台の床に、真っ赤な大輪の花が咲いたみたいだった」

 強張った表情のルビーに気づいているのかいないのか、貴婦人は淡々とした声で話を続ける。

「客席は大騒ぎになったわ。皆立ちあがって後ろに逃げようとして大混乱だった。
 わたくしは隣の席の友人に抱えられて他の客とともに席を去るように促されたけれども、立ち止まって振り返って、舞台の天井にいるアーティを見ていたの。
 遠かったけど、ちょうど斜めから光が差してきていて、彼の顔を照らしていたからよく見えた。目を見開いたまま固まって、茫然とした表情で床の一点を見つめていたわ。まるで魂が、その一点に吸い取られてしまったように。
 その頃は彼、まだ子どもだったのよ。ちょうど今のあなたぐらいの歳。もう背はずいぶんと高かったけれども、目元にあどけなさの残る、柔らかな頬をしたほっそりとした少年だった。パートナーの少女と最初に並んでお辞儀をしたとき、好一対といった印象で、とても可愛らしかったわ。
 恋人同士だったのかしら? わたくし、そのときの話はアーティにしてみたことがないから、聞いてみたことはないの。でも、見つめ合って微笑み合っていたから、恋人同士のように見えたわ」

「あの……奥さま?」
 ルビーはこわごわ口をはさんだ。
「どうして、その話をあたしに?」
 ブランコ乗り本人に対してすら話したことがないという話を、貴婦人はなぜ今、ルビーに話すのだろう。

「これが、三つめの答えだからよ。つまりね」
 ゆっくりと貴婦人は言葉をつないだ。
「わたくしにも、わからないの。なぜ見世物小屋の人たちのことが気にかかるのか、どんなふうに関わりたいのか。関わっていきたいのか。明確なビジョンがあるわけではないのよ」
< 106 / 177 >

この作品をシェア

pagetop