碧い人魚の海
「大丈夫だよ、人魚。あたしたちは気楽にしてたらいいの。人魚とあたしはただの賑やかしなんだから。奥さまはいつも、夕食のあとは男どものどちらかを残して、あたしたちのことはさっさと帰してしまわれるんだ。だからご飯を食べて帰ってくるだけ。お屋敷で出される食事はすごいおいしいんだよ。楽しみにしててごらん」

 夕食の前に、ナイフ投げはナイフ回しの技を、ブランコ乗りはバク宙などの曲芸を、舞姫は華麗なダンスを、貴婦人の前で披露した。ルビーはすることがなかったので、座長と貴婦人の間に座ってそれらを眺めていた。
 貴婦人は何年か前に夫を亡くしたということで、黒い服を身にまとっていた。ベールのついた黒い帽子をかぶっていたので顔はよく見えなかったが、ベール越しにそのぼんやりした白い輪郭を覗き込んだ瞬間からルビーは、なぜかそれに見おぼえがあるような気がして仕方がなくなった。

 テーブルに案内され、食事が運ばれてきた。
 貴婦人はベールを少しだけ上げて顔を隠したまま、口元だけを見せて食事をした。紅い紅を差したようなその口元を、ルビーはやはり見おぼえがあるように感じたが、それがだれなのかはよく分からなかった。
 見世物小屋でみんなが食べる、いつものパンとスープと肉、のようなひと皿料理ではなく、オードブルから始まるコース料理だった。
 メインディッシュに料理が進み、運ばれてきた皿をひと目見たとき、ルビーは青くなった。

 ルビー、ルビー……。

 皿の中から、彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきたのだった。

 ルビーは素早く周囲を見回した。
 隣の舞姫も、向かいのブランコ乗りとナイフ投げも、左右に向かい合わせに座っている座長と貴婦人も、だれ一人としてその声に気づいている様子はなかった。
 ブランコ乗りは横を向いて、貴婦人にしきりに話しかけていた。ナイフ投げは無言で、旺盛な食欲を見せて、給仕にパンのお代わりをもらっていた。舞姫と座長は、ブランコ乗りの言葉の合間に、さりげなく貴婦人に話しかけようと待ち構えている様子だった。
 だれもルビーに気をとめるものはいない。
 ルビーは再び皿に目を移した。

 色とりどりの野菜や食用の花に彩られ、ワインカラーのとろりとしたソースのかかった大きなステーキが乗っていた。色は白っぽくて綺麗な焦げ目がついていた。声はそこから聞こえてきたのだった。
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